【前回の記事を読む】【小説】新聞配達のバイトを順調にこなす一方、受験の勉強は…

第一章 上京

夕食後も居間に場所を移して先程の話の続きを期待した。居間と言ってもソファがあるわけではなく、座布団が敷かれている真ん中に卓袱台が置かれ、その上に新聞を無造作に開いて置いて読んでいた。

親父は面倒くさそうに鼻からずり落ちそうになる眼鏡を右手の中指と人差し指で押し上げながら、新聞を読む手を止めた。雄太に向かって言い腐った。

「男が一旦決めたことだ、何事があっても初心貫徹が大事だ」と相手にしてくれない。

しかし雄太も必死で二日、三日と繰り返した。

「どうにかならないか。どうにかならないか」との連呼の訴えにさすがに親父もうんざりしたのか「とにかく裏の家のおじの青山源次郎に相談してみよう」と請け合ってくれた。

敬郎の叔父である青山源次郎は、千葉県議会の副議長を務めていた。人の運命とは分からぬものだ。思い出す、事例はちょっと違うが、蒲生氏郷の〈おもひきや人の行方ぞ定めなき我がふる郷をよそにみむとは〉。

おじに相談に行った父親は間もなく雄太に、おじから「早速ある人に相談してみよう」という話があったと告げた。

おじは太平洋戦争中、満鉄で働き、苦労したと聞いていた。同じ満州引き揚げ者で衆議院議員となった清水成幸氏に相談したとの話があった。おじの満鉄引き揚げ後、親父はおじに何くれとなく援助したようだ。おじと満州で苦労し、昵懇の中にあった清水氏からは「実は九段衆議院議員宿舎の部屋が空いている。私も国会開会中は時々利用するが、よかったら使ってもいいよ」との打診があったとの由。

人生とは分からぬもの。雄太の運命は急展開する。こうして瞬く間におじから親父にこの話が伝えられた。雄太は、大丈夫かな、こんなお偉いさんの宿舎に入居できるなんてと思ったが、良いも悪いもなかった。当然のことながらこの申し出をお受けすることとした。雄太は天にも昇る心境である。

東京市ヶ谷の新聞配達店に戻った雄太は所長に「まことに勝手で言いにくいんですが、わけあって、八月いっぱいで辞めさせて下さい」とお願いした。

所長は「え!どうして、俺らが君に何か不都合なことでもした?」と「晴天の霹靂」が起こったような顔で、その理由を聞いてきた。

「これからは受験に専念したいので住所を移ることになりました。縁あって働かせていただいたことに感謝しています」

と誠意を込めて説明した。勿論本当の話である。九段議員宿舎へ入居できたなどとは決して言わなかった。羨ましがられるからだ。