【前回の記事を読む】「それみたことかざまー見ろ!」…人の不幸は蜜の味なのか

第二章 議員宿舎入居

入居に当たっては、清水氏と養子縁組した清水衆議院議員秘書の清水誠一さんが九段議員宿舎のロビーで雄太の現われるのを待ってくれていた。簡単な挨拶と自己紹介した後、誠一さんは同道され、受付事務所に雄太を紹介した。

「こちらが、今度一○一号室に清水本人と入居することになりました青山雄太君です。まだ学生で秘書兼務ですが面倒をおかけします」

と丁重に頭を下げた。雄太もまた深々と頭を下げ、挨拶代わりに手土産品であるお菓子の入った紙袋を、紹介された副所長に手渡した。副所長は「これはまたご丁寧に」と言いながら当然のように受け取った。

事務所には総勢八名程の職員がいた。事務所にはシフトで勤務している関係から、このほかに数名の職員がおり、総勢十五名ぐらいはいるとの内情話があった。所長は出張中とのことでお会いできなかった。早速入居時の部屋の鍵を担当職員より渡された。部屋への入室や退室時には鍵を受け渡しする決まりである。

手渡された鍵で誠一さんと割り当てられた一○一号室に入ってみると、部屋の中は十二畳程の和室である。洗面室が付いている。トイレは部屋にも付いていたが、これとは別に各廊下の入口に面して共同トイレが幾つも設置されており利用できた。廊下に面しては部屋が十五室あった。

二階も同じ造りでできており、一号棟、二号棟それぞれ三十室で合計六十室となっていた。三号棟、四号棟は別の造りとなっていた。また、各廊下の出入り口付近には共同の洗面所、水洗い場が設置されていて、簡単な料理の準備も可能となっていた。議員が寝泊まりするには少々狭いような気がしたが、戦後の復興途上時代だから仕方があるまいと納得した。

誠一さんは「何か困ることがあったら遠慮なく言ってね」と雄太を入居させてホッとしたのかきびきびとした軽い足取りで帰っていった。このような経緯で雄太の九段議員宿舎での学生生活が始まった。

実は清水議員と本妻との間には子供がいなかったが、庶子である男の子供が存在し、雄太とは同世代の慶応大学生であった。 名前を静則という。彼をこの宿舎に住まわせて大学に通わせれば良いのにと思ったが、世間の手前もあったのであろう。雄太の入居が優先したのだから恐れ入る。

経緯の裏話、雄太は知らなかったが後年、誠一さんから経緯の裏話を聞き、申し訳ない気持ちでいっぱいとなった。

雄太は清水議員を「親父さん」と呼んだ。雄太は親父さんの葬儀には出席できなかった。UAE(アラブ首長国連邦)赴任中であったからだ。後年、誠一さんと共に親父さんのお墓参りを済ませた後、稲毛の駅前寿司店の席で誠一さんよりきいた。

「青山君、静則君は親父に遠慮していたんだよ」、誠一さんは一時唾をごくりと飲み込み、言いにくそうに呟いた。