「人の不幸は蜜の味」の場合は事の顛末を知った人たちは「それみたことかざまー見ろ!」と拍手喝采だろうが、僥倖にありつけた輩に対しては悪口を吹聴するのは世の常だ。

所長は表向き「それは残念だ。折角の心強い味方だと思っていたのに。まあ仕方ない。だけど次の配達員が決まるまで我慢して辞めないでね。直ぐ新聞に配達員の募集をかけるから」と懇願された。

募集後三日で数名の応募者があり、このなかから採用を決めたようだ。雄太は新しく採用された配達員に二日間付き添い、配達場所を引き継いだ。引っ越しにあたっての最後の朝食が終わる頃合いを見はからって、雄太は城間を廊下に呼び出した。城間は何事かと、目を白黒させて雄太を見つめた。

「世話になった。城間にだけは挨拶しておこうと思ってね!事情があって新聞配達を辞めることになった。短い間だったが大変世話になったなあ、元気でな!」と仁義をきった。

城間は辞める詳しい事情を知りたがって口をもぐもぐさせて呟いた。

「折角友だちになれたと思ったのになあ!残念」との台詞だけは聞こえた。が雄太は本当の事情を説明しなかった。事情を知ったら、城間が羨望の眼差しをもって雄太を見るに違いない。雄太の境遇変転と比べて己の事情の不条理さを嘆くに違いない。気の毒と一瞬思ったが。

市ヶ谷の新聞配達所と九段の議員宿舎とは近隣で、二キロ程の道のりであった。引っ越しの日所長に「お世話になりました」と挨拶すると、所長は「タクシーで引っ越しするほどの近くに引っ越しするの」ときいてきたが、雄太は引っ越し先の住所を曖昧にして所長にも教えなかった。

新聞配達所の前の大通りでタクシーを呼び止めて素早く荷物をタクシー後部のトランクに詰め込んだ。荷物は布団と段ボール箱二、三個の身の回り品だけであったからタクシー利用で十分だった。