二丁目

羽左衛門の油見世では『艶顔香』と名付けた髪油を売っていた。全く売れなかった。羽左衛門は顔に痘痕(あばた)があり、背の低い小男で、“魚のような顔だ”といわれた男である。とても「艶顔」ではなかった。誰も信用しなかったのである。

羽左衛門には芸の力はあったが役者としての華がなかった。暗い。

“油見世折ふしいてははやらせる”

自分の見世に、役者が時々来て、客に挨拶して、見世を繁盛させるという川柳である。

「どうもこの見世では、川柳のようにはいきませんナ」と、健三が常々言っていた。

「羽左衛門という役者の見世だ。羽左衛門の物を売る」

それが九代目羽左衛門の考えだった。

しかし、役者に関する物を売るのは中村座の油見世も同じである。中村座は、四代目市川團十郎の牙城ともいうべき小屋であった。四代目市川團十郎は、立役、極上上吉の一番の評価で、木場の親玉といわれた。

中村座の油見世では、市川團十郎の一門、雷蔵、高麗蔵、幸四郎、八百蔵、伝九郎、七三郎、などの役者に関する日用品、衣料品、化粧品を売った。

羽左衛門と團十郎の、評判と人気の差が、見世の売り上げに出ていた。