第1部 政子狂乱録
一 蛭ヶ小島
物語の主人公、北条政子は伊豆の国の在庁官人で豪族の北条時政の長女として生まれた。
伊豆の北条氏は桓武平氏の流れをくむ東国でも指折りの有力者で、その根拠地は今の東海道線三島駅の東南方の田方郡韮山村寺家字北条の付近(静岡県旧韮山町現在の伊豆の国市)と思われる。時政は伊東祐親とともに、平家から頼朝の監視役を命ぜられていたのである。ここは中洲のなかでも小さい島であったことから、蛭ヶ小島と呼ばれるようになったのだろう。
現在「蛭ヶ島公園」として整備されている場所は、江戸時代に学者の秋山富南が「頼朝が配流となった蛭ヶ島はこの付近にあった」と推定し、これを記念する碑が田野の中に一七九〇年に建てられた。この石碑は韮山代官の江川家の家臣が建立したものとされている。
これが「蛭島碑記」で伊豆の国市指定有形文化財となっており、この石碑とは別に、史跡の北側約六〇〇mの民家の敷地内にもほぼ同様の碑文の「蛭島碑記」の石碑がある。地元の区誌によると民家にある石碑は婿入りの引出物として韮山代官の江川家から贈られたとされている。
この周辺は地域住民から「兵衛」の地名で呼ばれており、頼朝配流時の官職名が「右兵衛権佐」だったことから、こちらが配流の地であるという可能性も指摘されている。この史跡は旧韮山町が「蛭ヶ島公園」として整備し、公園内には富士山に向かって立つ頼朝と政子の像がある。