一部 ボートショーは踊る
三
俊夫が総合電気メーカー、大和電気製作所を退職して舶用機器専業の日本マリテックという会社を興し、もう二十年近く経った。大手メーカーに倣って魚群探知機をはじめとしてGPS、プロッター、NAVTEX(海上安全情報受信装置)、AIS(自動船舶識別装置)などと品揃えに力を注いだ結果、売上は着実に伸び、中小企業の域を脱することはできないまでも、マリンの業界では注目される存在になっていた。
だが、業界に足場を固める為に次々と開発を重ね、その莫大な投資の結果として築かれつつある自分の社会的な地位や、舶用電子機器の業界での自分の存在感を確かめながら、それに満足できず、むしろ満足しようと望まず、結果を拒絶しようとしている自分がどこかにいる。
彼を知る者たちから一目を置いて遇されると、そんな連中の眼差しを何か身にそぐわないと常に感じている。不似合いな帽子を被っているような感じで、その帽子を脱ぎ捨てたいのだが、別の似合いの帽子が見つかるとも思えない為にただ何の理由もなく被り続けるといった具合だ。
自分には似つかわしくない人生を自分は生きている。そういう思いをどのように自分に納得させればいいのか分からない。もっと違った生き方がある筈だという思いが、年と共に強まってきて、それが見つからないもどかしさと焦りが心に付きまとっている。
そんな心理状態から抜け出す術は簡単ではない。だから、俊夫はそのことを深く呻吟することなく、月並みな答えに逃げ込もうとする。このもどかしさと焦りの正体は、今、社運を賭けて手がけているソナー(海中に超音波を発射し反射波を捉え船の周りの海図を表示する装置)の開発にてこずっていることと関係があるのだと。
開発を始めてもう三年以上経っているが、まだソナーは一台も形をなしていない。勿論、このソナーの開発は最初から社運を賭ける積もりの大がかりなプロジェクトであった訳だから、スケジュールにある程度狂いが発生することぐらいは想定の範囲内だ。他の商品の売上は順調に伸びているし、その面でも危機感を募らせる理由はない。この開発が完成しさえすれば、もどかしさも焦りも消える筈だ。何時も自分にそういい聞かせようとしている。