一部 ボートショーは踊る
三
開発を始めて三年を越えると、さすがに俊夫も開発会議の席で時には忍耐を越えて爆発しそうになる。開発の中断を会議の席で口走ったりもした。
「今更開発中断はないでしょう」
そんな時、平田部長は初めてはっきりと反論した。
「とにかく、船底装備と共にセットとしてそのフィールドテストを行う第一号機が近々にはでき上がります。すべてはそれからがスタートと考えてください」
「君が自信があるというなら続けよう」
俊夫は口走った言葉を取り消した。腹から中断を考えた訳ではない。技術者たちの反応を確かめたかっただけだ。ある程度心理的に追い込み、緊張を強いなければ開発が進まないことを俊夫は経験で知っている。
そして平田部長は三十五回目の会議で初めてフィールドテストに耐えられるサーチライトソナー試作第一号機は来年の夏までに完成させ、併行して試販用十台の準備を秋までに完了させると宣言した。
完成させるサーチライトソナーの試作機の仕様は船底装備が六インチのサウンドーム(超音波発射・反射波捕捉装置)付きで、表示器は周波数百八十キロヘルツ、出力一キロワットの基板付きである。国内市場を丹念に調べ上げた結果、一番汎用性のある仕様として最初から決められていた。
「この仕様のソナーですと探知距離としてはせいぜい三百五十メーターから四百メーター位のものでしょう。レジャーボート専用機種としてはそれで充分な筈です。探知距離については今までの様々な実験で自信があります。でも、これから耐久性とか、メカの強度の確認とか、ソフトの微修正などで様々な実験を繰り返す必要があります。営業の方で場所を選定してください」
実験を繰り返さねばならないとしたら、なるべく近場の海で同じ条件で容易に繰り返せる場所に越したことはない。東京湾を拠点に実験することになった。
実験の参加者は主には主任技術者の池永と技術部長の平田であったが、時には製造や営業の担当者も駆り出されることもあり、たまに俊夫自身も加わって繰り返された。実験の度にソフト、ハード面の些細な部分が改造されていった。