十回目の海上実験が終わった夜、最後の技術会議が社長室で開かれた。
「来年の秋、我が社の創立二十周年記念の祝賀会には完成した商品が飾れるように皆全力を挙げてくれ。中途半端な試作製品では駄目だ。そのサンプルをショーが終わり次第イタリアのエレクマールに送る。やいのやいのといって来ているからね。その時までに派遣するエンジニアを決めておいて欲しい」
様々な議論の後で俊夫は宣言した。初めから世界の市場が対象の商品であった。今まで、商売仇のことを考慮して極秘の計画として進められていたが、そろそろヴェールを脱ぐ時だ。しかし、その為には改めて世界の市場を調査し直して商品に多様性を持たせる必要がある。
翌年の一月から三月にかけてのボートショーのシーズンに俊夫はバルセロナ、ジェノヴァ、パリなど、ヨーロッパの主要なボートショーにアテンドして市場を調査することにした。ヨーロッパの主要な国のボートショーを訪れて何時もながら感じるのは、会場の構成具合といい、雰囲気といい、いかにも洗練されている点だ。
世界中のボートメーカーだけではなくて、ボートの様々なアクセサリーや金具類の部品のメーカーとか、舶用電子機器のメーカーなどが、自社の名前で小間を持って出品したり、あるいはその国の代理店の小間に出品したりする。会場はメインホールの他にたいてい何カ所かの別館があって、商品の分類別に場所が割り当てられる。
会場をセッティングする主催者はショーの会場の至る所に宴を盛り上げる為の様々な仕掛けを用意する。
会場のそこここでは白と赤の二色で統一したミニスカートのマスコットガールたちが婉然と微笑みながら彼らに宣伝のチラシや様々なギフトバッグを差し出す。別の所では楽団が管楽器のかん高い音を会場一杯に響かせ、ピエロ姿のとんがり帽子の小男が飛び跳ねる。
そして、ボートショーは参加し、訪れる人たちの立場の違いによって様々な顔を持っている。
企画するのは世界的に名の通ったマリン専門の雑誌社であったり、それぞれの町の商工会議所であったりするが、彼らにとっては短い週末の何日間かのその催しは、町の興隆と税収入につながるイベントである。
小間を持つメーカーや、販売業者にとってはこれからの一年の業績を占う格好の場であり、参加する開発エンジニアにとっては己の創造した作品を世界に送り出す晴れの舞台であり、セールスマンにとっては販売店員をたぶらかす、権謀術数の場であり、ボートオーナーやその家族たちに夢を売り付ける己の腕を試す場でもある。
その結果次第では彼らは社内的な立場を一挙に高めることもできるのだ。