翌日、もう一度彼に入院していた時期を確認しました。ぴったり宮本が5年生の時期と一致しました。そしてその担当医学生は黒縁眼鏡をかけていたというではありませんか。もう間違いないでしょう。なんと三十九年ぶりの出会いでした。かつての可愛い子どもと青年医学生が今ではすっかり見る影もない(失礼、堂々とした?)おっさん二人となりはてています。
はたして宮本は、十二~十三歳で思春期に入りかけた彼が医学の道に進むきっかけの一つとなりえていたのでしょうか? コロナの時代、ゆっくり飲みながらとはいきませんが、いつの日か杯を交わしたいものです。
新しい職場のスタッフは五百人、そのすべての方にお会いできているわけではありません。その中で宮本が手術したお子さんたち五人の親御さんたちにそれぞれ思わぬところで挨拶していただきました。今回は退職リーフレットをきっかけとしてこのような三十九年ぶりの出逢いもありました。小児外科を退職し手術から離れ、なかなか気持ちの切り替えが進まない中、思わぬ出逢いに気付くと、生きることに前向きになりますね。
さあて、五階にある医局まで、階段で昇り降りできるようになりたいと思うようになってきました。写真はまさしく、彼が大学病院の小児病棟に入院していた中学生のころ見ていた名札なのです。(二〇二〇年八月十四日)
便秘診療はドラマがいっぱい!
以下の文章は今勤務している道北勤労者医療協会の広報誌『道北の医療』に掲載した文章に加筆・訂正・編集を行ったものです。こども便秘診療開始後半年の様子を記しましたが、反響が多く、掲載させていただきました。
こども便秘診療その後
昨年この医療講座で「こどもの便秘」について書かせていただき、二〇二〇年十月十九日から一条通病院小児科の中でこども便秘専門診療を始めました。それ以降、半年たちこの原稿を書いている時点(二〇二一年七月三十日)までで、「こども便秘診療」に新しく百四十人の子どもたちが受診しました。
便秘治療は一回では終わらず何回も受診し、数か月から一年以上におよぶこともあります。そのため当初は週に一回、それも半日だった診療時間枠ではとうてい足りず、週二回の診療枠としました。しかし、それでもなお、ひと月先まで予約でいっぱいです。
受診する子どもたちの居住地域は旭川市やその周辺町村からだけでなく、遠くは根室、占冠、北見枝幸、羽幌、稚内と三〇〇~四〇〇キロも離れた市町村から、さらには医療の充実している札幌からの受診もありました。