第一部酒編
酒豪
世に酒豪といわれる方は数多くいらっしゃいますが、この方は間違いなく五本の指に入ろうかという伝説の酒豪ではないでしょうか。『坂の上の雲』(司馬遼太郎 文藝春秋)より、主人公である秋山兄弟のお兄さんの方、秋山好古(よしふる)陸軍少将(日ロ戦争開戦当時)について、かねがね気になっていたその酒量について触れてみたいと思うのです。
まさか歴史小説の大家・司馬遼太郎のフィクションということはないでしょう。 鉄砲弾が飛び交う最前線で、胡坐をかいて水筒にしのばせた酒をあおったり、馬上で軍服のポケットから取り出したたくあんの切れ端をかじりつつ酒を飲みながら指揮をとったというような描写からは、戦国武将・上杉謙信を彷彿させる豪傑肌の軍人であったことがうかがえます。
そのような胆力のある指揮官の下、将兵の士気は大いに高かったと司馬遼太郎は記しています。 今の時代、たとえば自衛隊の師団長クラスが訓練中に酒を飲んでいようものなら、本人はもちろんのこと防衛大臣の首まで飛びかねませんから、とても考えられないことが当時は平気で行われていたことになりますよね。
好古の酒はメシ代わりであったといいますから、これは今ならアルコール依存症と言われてしまうかもしれませんが、意外にも戦後帰還してから七十一歳まで長生きしたのに対し、あまり酒を嗜まなかった弟の真之(さねゆき)の方が五十歳と短命なのは、酒毒の弊害も人によって違うのかもしれません。
かなり前のことになりますが、アルコール大国のロシアで、ビールをアルコール飲料(酒)と認定し、その販売や飲用場所を制限する法律の改正が成立したというニュースが報じられたことがありました。 それまでロシアでは、ビールは清涼飲料水の範ちゅうだったというのですから、まったく呆れた国もあったものです。
さてこのニュース、秋山兄弟が生きていたならば、何と言ったことでしょう。
弟 「なるほどそんな酔っ払いの打つ艦砲なら、我が帝国艦船に当たろうはずもなかったぞなもし……」
兄 「あしゃ~、戦でも酒でも、ロシアになど負けたことはなかったぞなもし……」
二人こう言って笑い合うに違いないと思うのです。