【前回の記事を読む】「酒は百薬の長」に対し妻、「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」...

第一部酒編

アメリカとロシアの禁酒事情

さてここで、話をアメリカからロシアに移しましょう。

ロシアは言わずと知れたアルコール大国。厳冬期にはマイナス二十度、三十度にもなるので、ウォッカに代表される強い酒が好んで飲まれるお国柄というのは理解できるとしたものです。

ロシア語でウォッカは「Водка(ヴォートカ)」と表記するのですが、水のことを何と書くかというと、「Вод(ヴォート)」だというのですから、なんともオソロシイ国ですね。日本人がたどたどしいロシア語で「水をくれ」と言ったら、ウォッカが出てきたという話もあながち嘘ではないようです。

一般的にロシアの男性の平均寿命が先進国に比べて際立って低いのは、ウォッカを飲み過ぎるからだと指摘されています。何とか国民のアルコール摂取量を減らす手立てを講じなければ、国が亡ぶと考えた指導者が一人います。グラスノスチ(情報公開)とペレストロイカ(改革)の名のもとに、徹底して禁酒運動を推進したゴルバチョフがその人。

何しろ「しらふが正常」という合いことばを用いて大キャンペーンを展開したというのですが、酒好きな国民の大反発と酒税の大減収を招くことになってしまいました。保守派が起こしたクーデターにより、指導者の地位を追われたばかりでなく、「ペレストロイカ」がソビエト連邦崩壊の最大原因とまで言われてしまうことになったのです。

もしかしたらクーデターが発生したのは、権力闘争ばかりでなく、「ペレストロイカ」と同時に断行した禁酒運動にあったのではないかとさえ思いたくなりますね。

そのゴルバチョフの後を受けて新生ロシアのかじ取りを担うことになったのは、エリツィン。クーデターの戦車の前に立ちはだかって、モスクワ市民とともに断固民主運動の推進を訴えて、新しいロシア連邦の指導者となったエリツィンは、大の飲んべぇ。ウォッカが手放せなかったといいます。