さてここで民主運動とは全く関係がありませんが、ソビエト連邦時代からロシア連邦時代の主だった指導者を時系列に並べてみると、レーニン、スターリン、フルシチョフ、ブレジネフ、ゴルバチョフ、エリツィン、プーチンとなります。その頭髪に注目してみてください。禿、フサフサ、禿、フサフサ、禿、フサフサ、禿と交互に並んでいることがわかります。

これが下戸、上戸、下戸、上戸……、というようにも並べることができるとしたら、プーチンは大酒飲みのエリツィンのあとだから、下戸ということになるのですがね。

謎多きロシアのこと、プーチンの酒量はどうなのか、調べてもなかなか掴むことができません。あるいは最高機密なのかもしれませんね。

日本の禁酒事情

前章では、アメリカとロシアの歴史から酒事情を探ってみました。

法律を定めて酒を禁じてしまおう、「しらふが正常」と大キャンペーンを張ろうというのは、これはやはり人間の理性のなせるわざというべきでしょうか。いや、理性を失うほど酒を飲んでしまうから酒を禁じなければならないことになったのでしょう。「しらふが正常」ということは、すなわち「酩酊が日常」ということになりはしまいか。

しからば、まず疑うべきは人の理性といえるかもしれません。

日本ではどうか。わが国の民は、理性を持っているといえるのでしょうか。

日本では(いにしえ)より、酒はお神酒(みき)と言われてきたことを思えば、神代の昔から飲まれてきたのでしょう。古代、中世で禁酒令という触れが出たという話は、聞いたことがありません。比較的資料が残りやすいもう少し後の時代を調べてみると、確かにそれに近い話も目にできるようではあります。

『日本史がおもしろくなる日本酒の話』(上杉孝久著サンマーク出版)では、このような趣旨のことが書かれています。

戦国時代、三本の矢の逸話で有名な中国地方の雄・毛利元就。元就は家中の者が酒におぼれるのを厳しく咎めたといわれています。しかし全く禁じるというようなことはしなかった。酒好きなものには、自ら酒を注いでやりながら飲み過ぎを慎むように言い聞かせた。飲めぬものには、「酒など飲まずともよい」と、餅を勧めたと。

四国に目を転じると、土佐の国から身を起こし四国全土を平定した長曾我部元親の名を挙げることができます。今の高知県は酒豪が多いことでも知られていますが、当時の土佐の国の領内で、酒を飲んでのトラブルが絶えなかったことに業を煮やした元親は、「禁酒令」を出した。

しかし、発布したはいいものの、当の本人が無類の酒好き。あるとき家臣の福留隼人に、城中に酒樽を運び入れているのを見とがめられた。

「民に酒を飲むなと言っておいて、殿がひそかに飲むとは道理に合わない」

と諌められ、出したばかりの禁酒令を取り下げたのだと。

福留隼人もきっと酒好きだったのでしょうね。