プロローグ
智洋は、国道246号線の走る南側に目をやった。この道は崖の上。眼下に家々やビル。いつものとおり……ではない。ここにも違和感。なぜ? 何が違うの……。
あっ、と智洋はまた声に出した。
高速がない。246の上を走っている首都高、何号線だっけ、4号線だったか3号線だったか、それが、ない。これだ、これが違和感の正体、かな……、あれっ、ここから首都高、そもそも見えたんだっけ……。高速道路がないから、空が大きく見える、ということなのか。そんなわけないか……。
左手には、マダムに求められてトランクから降ろした紙袋。
うん、つまり、さっきまでのことは、確かなことなのだ、マダムと一緒にボルボに乗って、ここまで来た。で、荷物をと言われて、あれこれ……記憶が繋がっていることを智洋は確信した。途切れてはいない。失神、していない。一瞬、一秒くらいはアレだけど。
だけど、ここは、ここじゃない。さっきまでのここみたいなんだけど、でも、ここじゃない……わよね。この、なだらかな下り坂を下りて行けば、大橋病院があって、そして池尻大橋に出る。それは間違いないはず、たぶんだけど。
智洋は叫び出したくなった。大声を出せば、いつもの、見慣れた、あの景色が戻ってくるような気がした。しかし、そんなことをしても意味はない……わずかな理性が囁いた。
記憶と合致しないけど、ここは日本だし、東京だし……だよね。二十一世紀のはずだし、わたしと夫が住む街。この学校がある、ということは、そういうことよね。
でも……、ウチのマンションがない。とにもかくにも、ウチがない。ボルボなんて、どうでもいい。マダムがいなくても、どっかへ勝手に行っちゃったとしても、そんなことはかまわない。わたしたちの住むマンションが消えてしまったのだ。
帰る部屋がない……。あっ、バッグはクルマの中だ。鍵がない。ケータイも財布も、ない。えっ、だったら、どうしたらいいの?
部屋の鍵は、管理人さんに言えば、いい。部屋に戻れば固定電話がある。お金もある。生駒さんに連絡して……、うん、何とかなる。でも……。ないのよ、肝心のウチが。
こういうの、茫然自失っていうのかしら、生駒さん。あぁ、いざとなったら、青山のオフィスまで歩いて行けばいい。あのひとなら、きっと、このわけのわかんない状態に、ちゃんと答えを出してくれる。解決してくれる。そうよね、生駒さん。