第一章 大竹寿美としての人生
高橋智洋は、店の二階部分を見上げた。正面の窓が凸レンズのように円く出っ張っている。一階の入り口はガラスのドア。カタカナで「タイニー」と書かれた看板があった。青地に白抜き文字。
ドアを引き開けた。ちゃりんと鈴の音。
うん、ブティックだ。けど、洋服類ばかりではなさそう。コーヒーカップ、皿。キャンドル。絵。セレクトショップ、みたいなもの。コーヒーショップの下にセレクトショップ、イイじゃん、なかなかやるわね、一九七一年。昭和四十六年。わたしが生まれる前。
正面に螺旋階段。その奥のドアは、たぶんトイレ。右曲がりに階段を上がる。ざっと一八〇度で、上の階が視野に。喫茶店らしき光景。階段はもう少し続く。ほぼ一周した計算。二階だ。
右手にカウンター、その向こう側が調理スペースかな。カウンターには円いスツールがひとつ、ふたつ……五つだ。
階段を上りきった。
「いらっしゃい」
カウンターの奥に、若い男性が一人立っていた。マスターかな。髪は長め。智洋をチラッと見た。
左の窓側にテーブル。二人用、五つ。いや、背後のテーブルは四人掛け。すべて四人用のテーブルだと窮屈になるレイアウトか。そのうち三つに一人ずつの、男性客。ネクタイを締めたサラリーマン風、でも長髪。全部で二十席足らず。真四角ではなかった、奥に長めの長方形の建物だ。
マスターに最も近いテーブルを選んだ。その左右には先客がいたし、螺旋階段の背後に位置する最深部では、遠すぎる。わざとらしく距離を保ったように、いや誰もそんなこと、気にしないだろうが、智洋は憶測されるのを避けたかった。そもそも四人用だし。
店内はブルーを基調にしている。テーブルは白だが、椅子には部分的に青いライン。スツールの座席面も薄めの青。内装は、コンクリートのまま。
飲料メーカー、いや、わかんない、何かの宣伝ポスターらしきものが一枚。違うか、なんだろう、あのポスター。抽象的すぎて、何を描いているのか、わからない。その横に時計。智洋の好きな、アラビア数字の文字盤。一時半を指している。一時間ほど歩いてきたことになる。
マスターの背後の食器棚のサイドに、メニュー。キリマンジャロ、モカ、ブラジルなど、いずれも百五十円。ブレンドは百二十円。厚切りトースト百三十円、食べものはそれだけのようだ。
コーヒーが百五十円、安いのか高いのか、判断はつかない。いまだって安いところなら二百八十円くらいで飲めるから、ざっと半分。物価の上昇が二倍程度。そんなものなのかどうか、智洋には知る術がない。確信は持てない。なんとなく、二倍では済まない気がする。