プロローグ
要するに、ここは、現在、二〇〇一年、ではない? おそらく、一九七一年なのだろう。あの二人の言葉を信じるのであれば。信じない理由はない。信じる理由もないけれど。でも、たぶん、一九七一年なのだろうし、七〇年でも七二年でも大差はない、誤差の範囲内。わたしは、どういうわけか、二〇〇一年から弾き飛ばされてしまったのだ。あの、眩暈のとき。
あれが……あれで……時間を跳んだ。なぜと考えても、仕方がない。そんな理屈は、誰かがもし説明してくれたとしても、そう簡単に理解できるものではない。そもそも、こんなことが可能なのかも、わからない。
神社……こんなのあったんだ、知らなかった。ん? いや、あったような気がする、というか、聞いたことあるような。たしか、氷川神社とか……違ったっけ……。こんど、お参りに、って、そんな場合じゃない。これは……、いわゆるタイムトラベルというやつ……、いや、タイムマシンに乗ってきたわけじゃないからトラベルではない。
タイムトリップかスリップ、タイムワープだったかな。タイムなんとか。そんなような言い方をするんじゃなかったかしら。なんでもいいや、どっちにしても、これが大掛かりなドッキリではないこと、それだけは確かだ。残念ながら、それは認めよう。認めるしかない。
坂道は、だらだらと続いた。少し息が上がってきた。最近、あまり長くは歩いていない。道の両側には、何にもない。だから、気が紛れない。まあ、気軽に散歩という状態でもないんだけど……。それに、空気が悪い。これは、青山通り。違う、青山通りは渋谷からあっち。こっち側は、たしか、玉川通り……よね、生駒さん。そんな説明、された記憶がある。いずれにしても246だけど。
片側三車線の、交通量の多い、けっこうな幹線道路、なのに。道幅は広く、実際にバスや自動車などの往来がけっこう激しく、都会を感じさせるけれど、なのに、どこか田舎の一本道のようにも思えた。でも、それにしては、なんか、排ガス、気になる……。ここなんか、何か建つのか……、やたら広い原っぱ、というのか、土が盛られた空き地。都心だというのに、建物がない。
さっきが池尻大橋、その先に三軒茶屋、こっちは渋谷。東京の中心街のひとつ。賑やかな地域。なのに、まだ誰ともすれ違わない。三十年前の東京って、こんなもの……?智洋は、さきほどの違和感とはまた異なる違和感を覚えていた。道は、ようやく、平坦になった。高い建物、といっても五、六階くらいだけど、とりあえずビルと呼べるものもある。
大きな交差点が見えてきた。あの、もう少し先が渋谷。馴染みのある渋谷の街が、もうすぐ。渋谷に問題解決の回答があるわけでもないのに、智洋の硬直しそうな気持ちが僅かに緩んだ。たしかに、ズングリの言うとおり、ここらあたりで一息つきたくなる。煙草を喫う人なら、一服したくなる、と表現するのかも。
なるほど、交差点の右手の向こう側に、コンクリート造りの建物が見えた。二階建て、ほぼ真四角。正立方体とかいうのかな……派手さはなく、愛想もないが、周囲に高いビルがないためか、目立つ。一九七〇年代初め、たしか、新宿の高層ビル群も全然なかったと、生駒さんが言っていた。
いや、ひとつふたつはあるかも。もちろん、あの都庁はない。渋谷だと、109もないのだ、たぶん。パルコは? どうだろう、わかんない。西武は、あるかな。東急はあるわよね、でも、本店は……。わたしの知っている現実は、ここでは現実ではないのだ。
まあ、いいわ、そもそも高速がまだできていないんだから、現実には渋谷の街並み、わたしの知っている渋谷とは全然、違ってるわよね。溜め息が出ちゃう。それにしても、空気が良くない。なんか、喉に、鼻に? ひっかかるような……淀んでる? 実際に溜め息をつき、智洋は、さらに現実に引き戻された。お金だ……。
ふと、ずっと持ち続けている紙袋の正体に意識がいった。何が入っているのだろう……わたしは何をずっと、いったい持ち運んでいるんだろう。確かめてみる気になった。立ち止まった。お金でも入っていないか、と期待した。相当にムシのいい期待だけど……。紙袋を小脇に抱え、中を覗いた。
まず目に入ったのは……小銭入れ! まさか、本当に? 小銭入れのように見えて、ただの鍵入れとか。いや、そうでもなさそうだ。手に取って見た。想像より重い。ファスナーを開ける。やったぁ! 本当に入っている、これは、間違いなく、百円玉、そして十円玉。それぞれ十枚以上はある。いや、百円玉はもう少し多い。二十枚くらいか。二千円と少し。三千円まではなさそう。
これでコーヒーは飲める。ゴハンだって、何か安いものなら食べられる、きっと。よかった。まだ、おなか減ってないけど、いえ、たぶん空腹なんだろうとは思うけど。とにかく、このお金でコーヒーくらいは飲める。助かった。小銭入れの下に何か見えるが、それは後回し。とにかく、お金がある。歩き出した。歩みを意識した。