プロローグ
「そこからバスで、すぐですよ。東急。二つか三つかな、停留所。道玄坂から山手線(やまてせん)の駅へ、っていうルートで、渋谷には井の頭も東急もあって……渋谷のことは、わかりますよね」
「ええ」
「あの道を真っ直ぐ、あっちに向かえば、中目黒です」
ズングリが、指を差して説明した。親切な男ではある。このあたりの住人なら、それくらいは把握していて当然だろうに。わたしだって、歩いて来たことはないと思うけど、その程度の地理情報は知っている。
「じゃあ、ぼくらは、ここで。バス停、そこにありますから」
バス。バス代よね……お金、持ってない。サイフは、ボルボの中のバッグの中。ケータイも何もかも。わたし、何も持っていない。この、わけのわかんない紙袋だけ、いま持っているモノすべて。
「歩いたら、けっこう、ある?渋谷まで」
「そうですね、そんなには。でも、女性の足で歩くには、ちょっとシンドイかなあ」
ズングリが智洋の足下に視線を落とした。
「いい運動にはなりますけどね。ぼく、高三のとき、歩いていたんです、渋谷から学校まで。いつもいつもというわけではないけど。それでも、少しは痩せたんですよ、ぼく」
ズングリの笑みは、やはり自嘲気味だ。いまも、ポッチャリくんだと、キミ、自覚しているよね。
「そう……、でも、歩いてみるわ、こっちのほう、あんまり知らないから、散歩がてらに」
日常のちょっとした買い物は、たいてい駒場のほうだ。あのへんなら、ときどき歩く。コンビニもあるし平坦だし。こっちは、荷物を持っての帰り道が上り坂になっちゃう。
「それだったら、停留所ひとつ分で、だから次の次かな、南平台というところがあって、表示はないかもしれませんが、山手通りとの交差点になります」
「うん、南平台ね」
「その交差点の角に、ちょっとシャレたコーヒーショップがあるんですよ」
「シャレてるかぁ?」
と、ノッポ。
「だと思うけどね。外観がコンクリートの打ちっぱなしっていうやつで、見たらすぐわかりますよ。小さな喫茶店ですけど、交差点に立てば、わかります、そこしかないから」