【前回の記事を読む】ターニングポイントは「バブル崩壊」日本政治停滞の理由とは

第一章 失われた三〇年

《一》平成三〇年間─何もしなかった日本

非正規労働者層の拡大

少子高齢化がこれほど急速に進むようになった原因にはいろいろありますが、非正規労働者の増加で、結婚もできない階層ができて、それが年々、増大、世襲化していることが大きく効いてきています。

労働者派遣法は、その正式な名前は、「労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の就業条件の整備等に関する法律」といって、法律はすでに一九八五年七月にできていました(中曽根内閣)。

目的は、「労働力の需給の適正な調整を図るため、労働者派遣事業の適正な運営の確保に関する措置を講ずるとともに、派遣労働者の就業に関する条件の整備等を図ることで、派遣労働者の雇用の安定、福祉の増進に資することにある(第一条)」としています(法律改正前)。

何を目的にして、何をやっているのか、よくわかりませんが、いずれにしても、非正規労働を正当化している法律です。

戦後の高度経済成長期において、日本の企業は常に人手不足にあり、労働者を囲い込む形で正規雇用(正規、非正規の区別がない時代であったので、一般的な社員)が常態化しました。さらにそれを補佐する形で農閑期の農業労働者や主婦をパートタイム労働者として雇い入れる形になりました。

このようなとき、特殊な分野では、正社員でなくても、パートでよいというような職種もあって(むしろ、その方を本人が望むこともありました)、派遣法はあまり議論されずに成立しました(これは官僚の「常套手段」です。「小さく生んで大きく育てる」ことはよくやります)。

・一九八六年七月一日の施行にあたって、最初に政令として指定された業種は、一三業種あって、ソフトウェア開発、事務用機器操作、通訳・翻訳・速記、秘書、ファイリング、調査、財務処理、取引文書作成、デモンストレーション、添乗、建設物清掃、建築設備運転・点検・整備、案内・受付・駐車場管理等でした。当時としてはいずれもサブ的な業種でした。

その後、バブル経済崩壊後の平成不況では、企業は、グローバル化に対応して海外移転を進めるとともに、(主として安い輸入品に対する)国内の競争力強化の必要性に迫られ、コスト削減の圧力が高まりました。このため、正規雇用(フルタイム労働)である正社員の採用を抑制する一方、コスト削減のために単純業務に対する安価な労働力の供給源として、また、不況期の企業業績縮小期の雇用調整弁として、非正規雇用の従業員に注目するようになりました。

それまでも好不況はありましたが、その都度、企業のリスクで採用雇用者数を決定していました。ところが政府がグローバル化した競争に対応しようとする大企業などの要望を受けて、派遣雇用法に以下のような業種を追加していきました(官僚のやることはいつでも同じで、政令追加は簡単にできますから、あまり議論なしに国民の目をかすめて行ったのです)。