翌朝一郎は自宅のある中島町から、函館山の南東に突き出ている立待岬に向かった。
中島町は箱館戦争で榎本武揚が無条件降伏に応じる前日、中島三郎助が二人の息子とともに千代ヶ岡陣屋で戦死したことを、函館の人々が悲しんで命名した町である。
吉田一郎と伊達直也は高校の同級生である。直也が浮遊霊に憑かれているのを一郎が見破り、(しかし直也は悪霊に憑依されているのに気付いていなかった)除霊してやって以来の親友だった。
一郎は父と母、それに弟・妹の三人兄妹の長男である。父は開業医で母は専業主婦、弟も妹も学業は優秀で、札幌の医大に現役で合格している。
しかし一郎は落ちこぼれだった。勉強ができなかったわけではない。人と興味の方向性がだいぶ違ったのである。
一郎は生まれつき霊媒体質だったため、子供の頃から大変苦労した。しかし父親はそういうことは一切信じない人だったので、一郎が心を病んでいると考えて心療内科に通院させた。しかし医者に霊媒体質者の苦しみはわかろうはずがない。
青年期に悪魔に取り憑かれ、命の危険にさらされたとき、母方の祖母にT市まで連れていかれ、ある神社の宮司によって救われた。一郎はそれから除霊や占いに興味を持ち、学校の勉強は二の次になったため、父が一郎を医者にするのをあきらめて、好きなことをさせた。
父の愛情と教育は弟と妹に集中したが、一郎はかえってわずらわしい受験勉強から解放されてよかったと思った。
立待岬は風が強い。駐車場から景色を見ようとすると、強風に体を持っていかれそうになる。しかし周囲の絶景は、眼前に津軽海峡が広がり、左手には函館の海岸線・正面には青森の下北半島・津軽半島が見える。
函館の市街地からは案外近く、市電で十字街駅から宝来町・谷地頭線に乗って終点の谷地頭駅へ、谷地頭駅から徒歩二十分ほどで到着する。谷地頭には地元では有名な谷地頭温泉がある。
ちなみに谷地頭温泉の泉質は、鉄分を含んだ茶褐色のナトリウム塩化物泉で塩味があり、昔から神経病や筋肉痛・打ち身などによく効き、函館市民に愛されてきた。