三章 母と妹の間で──乳がんを患いながらも懸命に生きる妹
三ノ二 手術とその後
蕁麻疹は薬で徐々に治まってきました。手術は早く行いたかったようですが約二か月後に決まりました。折しも母の体調が悪化し母が先に入院していました。母は母で自分も辛い入院をしながらも妹の様子が気になっていました。
妹の手術が近づいてきました。しかし、貧血気味でヘモグロビンの数値が低い状態のようでした。このままでは手術はできないので鉄分を摂るなどして一定の数値まで上がるように待たねばなりません。
ようやく、OKサインが出ました。手術まで約二か月の間に、腫瘍の大きさも少し大きくなっていたようです。手術、医療はお医者様に任せるしかありません。私は手術当日、待合室で無事を祈っていました。
約二時間後、手術室から出てきて目と目で無事をわかり合えたような感じでした。手術前に妹は、手術が終わればすぐ帰ってくれていいからと言っていました。
私は病院を出てそのまま今度は母の入院する病院へ行きました。妹の手術が無事に終わって手術室から出てきてちゃんと目を開けてて顔も見たよ、と伝えました。
「あー良かった」
と一言だけ言うと母は、手で顔を覆い、次に手を合わせ何かに感謝するように涙ぐんでいました。
最近の手術入院の期間は、なんと早いものか。妹も三泊での退院となりました。できたら二泊でもいいとのことでしたが、いえいえ一泊でも多く病院にいてもらった方が家族としては安心だと、三泊目もお願いしました。手術で切り取ったとはいえ、半永久的に治療や検査は続けていかねばならないようです。そして再発の不安も常に抱えているのです。
片方の胸の病変の部分を多めに切り取っただけで後は温存されました。左右の胸のバランスは多少違いますがそれほど目立たず、また乳輪に沿って切開されたので傷跡もわかりにくいのも良かったと言っていました。がんという辛い不安な病気の中、少しでも妹が嬉しい、良かったと前向きに思えることは、私も嬉しくなって良かったねと思えたのです。
もちろん、個々の状況にもよるものだと思います。家に帰ると窓を拭くなどのリハビリの指示があったようです。早速、腕を上げて窓拭きをしていました。なかなか前向きな妹です。私なら窓拭きはまだ力がいるので、ストレッチだけしていたかもしれません。リハビリや放射線治療に通う日々が続きました。