三章 母と妹の間で──乳がんを患いながらも懸命に生きる妹

三ノ一 まさかの連絡

少し年の離れた妹は、幼い頃の私と違って、体格も良く、大きな病気はなく育ってきました。当時、私が里帰り出産で産後まもなく、赤ちゃんと二人で実家にいたときのことです。

妹は高校生でした。家から近いところに母の職場がありました。昼休憩に母は家に戻ることが多かったのですが、その日は戻りませんでした。昼ごろ救急車のサイレンが聞こえ、止まったので母たち職場の数人が外に出てみたところ、妹がちょうど救急車に乗せられるところだったそうです。

「え? あ、うちの子です」

「では、乗ってください」

母はもうびっくりして、通りがかった人が呼んでくれたであろう救急車に乗り込み、病院へ向かったそうです。意識が朦朧としていた妹は、救急車内で、「おかあちゃん、私、腕ついているかな?」と聞きました。

「うん、ついているよ」

と母は返事したそうです。突然、車にはねられたようで、悪いことに状況の詳しいことはわかりませんでした。命に別状はありませんでしたが、腕の複雑骨折で手術となりました。母は手術室の前で待っていましたが、妹が手術室から出てくる頃には、もう麻酔が切れかけてきたのか、「痛い痛いー!」と叫びながら出てきたそうです。

痛がっているけれども、どうすることもできなかった、とすごく辛そうに母は言います。金具が入っているのです。しばらく大変です。産後の私と妹の世話もあり、母はまた忙しくなってきました。

「○○ちゃんがいるからウチの家は明るいもんね」

と、家に赤ちゃんがいることを辛いながらも癒しのように思ってくれていました。その後私も落ち着き、妹は退院したものの金具が出てきそうだというほどの痛みに耐えながら生活していました。回復し、固定金具を外したのを見ると驚きました。こんな長い箸のようだとは思いませんでした。よく頑張ってきたねと感じました。

その後、大人になり、なんでも活発に挑戦し、格好良く思えました。早くから結婚、子育てをしてきた私にはなかった経験も色々としていました。妹は海外にも関心があり、何度か出向いていました。母を海外旅行に連れて行ってくれたのも妹ならではのことと思っています。大けがは経験したけれども、それ以外は、健康そのものでした。

しかし女性ならではの気になる症状が、出てくるようになりました。母がかつて、乳腺線維腺腫になり、その約二十年後、私も同じくかかったことがありました。年月を経て妹もまた、胸に気になるしこりがあると言います。