「おかあちゃんも私もそうやった。調べてもらえばきっと乳腺線維腺腫だから、心配しなくていいよー」
と私は、近しい人だけで四人の乳腺線維腺腫患者を知っていることによる勝手な判断で、妹にそう言っていたのです。検査はどんどん進んでいきました。どこまで時間をかけ念入りなのかと思いました。妹から携帯電話にメールが入っていました。
「後で電話する、あまり良くなかった」
との文。私も胸が締めつけられるような思いで覚悟しました。電話がかかってきました。私は、うなずきながら、電話口でもう少しこのままここで泣いていけば、との思いを言いました。病院の後、気持ちをどうしていいか迷い、夜の公園で一人泣いて、少し経ってから私に連絡してくれたのです。
訳あって妹は、シングルマザーとなり母と三人で住んでいました。母は八十歳過ぎ、リウマチと肺炎の治療中でしたが家にいました。当時、母は考えはしっかりとしていたので、話した方がいいよ、とも伝えました。芸能界や著名な方の乳がん報道が相次ぎました。訃報も流れ、ショックでした。そのようなさなか、妹からの連絡でした。
妹の前では冷静であったかもしれませんが、とても不安を感じていました。でも当然のことながら本人は、もっと大変な心配と動揺を抱え込んでいたのです。
次の日くらいから、妹は全身にひどい蕁麻疹が現れてきたのです。体の中がなんかおかしくなってきたのかな、と言い、痒い、痒いと体を掻きます。近所のかかりつけの先生に診てもらい実状を話しました。
「きっと乳がんの宣告を体が受け止めきれなかったんだね」
と話してくださり、胸にこみあげるものがありました。体と心はつながっていると感じました。そして妹の抱えているものが重すぎたのだと、少しでも軽くなるように、これからも寄り添っていこうと思いを新たにしたのです。