一章 父の死に思うこと──躁鬱病と闘っていた父の思い出
一ノ一 幼い頃から感じていた
いつの頃からでしょうか、私がもの心ついた頃には、父の言動に対して、もうなんとなく異様だと感じるようになっていました。
ある日のこと、父が普段通りにトイレに向かったかと思えば急にトイレで具合が悪くなりました。母が駆けつけると父は、「心臓が止まりそうだった」と母に抱えられながら戻ってきて、私はただ傍らで不安そうに見つめていただけだったことがありました。
このこと自体、普通に考えれば、体調の急変だととらえ、精神的な関わりがあるとは思わないでいました。心臓などの病気ではなかったと思いますが、体調の急変ということが、度々起こるようにもなり、動作を変えるときに、なんらかの異様な変化があると、精神にも影響することが多かったように思います。
ある日の夕食後のこと、洗ってザルに入れたイチゴを母が父に、「食べる?」と促したところ、「なんでそういうことを言うのか!」と怒っていたことがありました。突然に、もう会話が、かみ合っていない状況なのです。そんな異様なやりとりを子どもの頃、何度も見てきました。
父は、自分自身の症状を、眠れない、頭が痛い、便が出ないなどと頻繫に話し、身体の辛さを訴えていました。体調の良いときには仕事に行くのですが、朝は起きられないという状態の日も多く、仕事を休むこともよくありました。
両親の会話の中で、「季節の変わり目は特に」という言葉も何度か聞いていました。そしてその通り、春と秋の気候の良いときに症状が悪くなるということが小学生の私にも実際に伝わっていました。自分が大人になるまでに春と秋があと何回訪れるのか指折り数えることもしました。
小学生くらいの私は、放課後は、友達と家を行ったり来たりして遊ぶこともありました。父の体調が悪いときは、度々、「お父ちゃんが寝てるから、ウチの家は今日はあかんねん」と言いました。友達には、「また寝てんの? 働いてないの?」と言われることもあり、言い返すことができませんでした。
一方で父は、勉強などのことを聞くと教えてくれる人でした。私は、掛け算なのに、0.8などの数字を掛けると答えが小さくなるのが、習ったばかりの頃は理解しがたかったのですが、父は優しく丁寧に説明してくれた覚えがあります。また読書感想文を見てもらったら、とてもよく書けている、と感心され、褒めてもらったこともありました。
母は仕事、家事、私たち子どもと父の世話と非常に忙しく働き続けていました。幼い妹もでき、いい団らんもありました。父の母である祖母も一時期一緒に住んでいました。祖母は、私や妹の世話もよくしてくれていました。
父が興奮気味のとき、母、祖母、妹と私は一緒に一時的に近くの父の会社の事務所に“避難”したことがありました。会社の方と家族との会話の中に「刃物類は持ってきておいた」との内容があったように覚えています。
また別の、ある夜中のこと、寝ていると突然に父の泣き声、うなり声が聞こえてきました。私は、布団の中でハッキリと目が覚めてしまいました。隣の部屋では妹の泣き声が聞こえています。深夜のなんらかの会話がきっかけだったのか、別の動機があったのかわかりませんが、また心の辛さが爆発してしまったのです。
私は固まって動けませんでした。寝返りすることもせず、息を押し殺して、自分の存在を隠すように寝ているふりを続け、時間が経つのを、朝が来るのを、ただじっとして待っていました。明るい朝が来れば何か好転していると、子どもながら、そう信じるしかなかったのです。
長い間、騒いだ後、朝になると、何事もなかったかのように静かに、穏やかに落ち着いていました。別人です。このようなことが繰り返された小学生頃の私は、奇妙な父親のことは、好きにはなれませんでした。私が小学校高学年か中学生になった頃、ふとしたことで、引き出しの中の書類を見つけました。そこには、難しい字で“躁鬱病”と書かれていました。