四章 気づいてあげられなかった悔悟──娘由美の脱毛症との付き合い方
四ノ五 由美の後記
小学生の由美の初めての症状に気づいたのは、親の私ではなく、由美自身からの報告だったこと、小さな子どもながらも急な脱毛に、どれほど驚き、心配したことでしょう。
何日か経ってから私に知らせたというところからも痛ましさが思い出されます。
しばらくの間、親に心配させまいと、一人で不安になり心を痛めていたときがあったことに本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。そういうことも世間の方々からすれば、親の不注意、子どもへの関心の足りなさがあるとご指摘されることでしょう。
また、小さな子どもだからこそ、初めからカツラをつけてあげれば良かったのにと、思われる方も多いと思います。
そして大人になってからの再発にしても、しっかりと治療を続ければ治ったよとおっしゃる方もいらっしゃるかもしれません。できれば確かな情報をたくさん得て、本格的に治療に向き合ってもらいたいと考えています。読んでくださる方々からすれば、以前の病院や漢方薬局に行けば、と思われるかもしれません。昔の病院の先生は、もう代わられていて、それでも行けばいいのですが。
そして、漢方薬局は残念なことに、もうお店がなくなっていたのです。今もなお治療放置のままですが、もっと私が引っ張ってでも病院へ行くようにした方がいいのではと思うこともあります。
私の由美に対しての接し方は、どうだったのでしょうか、当事者以外の立場から見れば、正解、不正解とするところや、私ならこのように行動した、などの判断、見解もあることでしょう。由美に聞いてみても、髪のことは、あまり多くは語りません。昔のことも今も大丈夫だよと言います。辛い状況が長く続き、それでも力強く生きる姿勢は立派に思います。
同じような立場の人がいらっしゃいましたら、この手記を読んで、とりとめのない内容ながらもうなずけることもあると思ってもらえたら、それは私にとって大変嬉しく、ありがたいことです。
どこそこの病院がいいとかこんな治療で治ったよ、あるいは、安くていいウィッグつけているよ、または、もうそのままの頭でいますよ、などと、色々な情報を得ようとすれば知ることができるのかもしれません。
そのような読んでくださる方々の思いに心を寄せながらも、今しばらくは、子育てを楽しむ“一家族”と、それを見守るおばあちゃんの私がいることを客観的に受け入れ、少しのんびりと様子を見ながら過ごすこの現況もありかな、なんて思っています。
生きていく上で、こうあるべきだという考え方は、あまり私の意志にはありません。様々な考えの人々がいるのが、人間味なのでしょうか。