一部 ボートショーは踊る
二
二泊四日のセントピータースバーグへの出張の期間中は、初めて訪れた土地での緊張に加えて、入れ替わり立ち替わり訪れる新しい取引相手との交渉で、東京で起こった煩雑な日常についてはつい忘れがちだった。
かといって、すべてを忘れ去っていた訳ではない。写真屋との一件だけは心の底にこびりついていて、ブースにやって来た客と談笑している時でもあらぬ考えに憑りつかれる瞬間があった。
あれは何も本当に写真屋を殺したいと思った訳ではなかったのだと俊夫は何度も心の中で自分に言い訳をした。目の前から消し去りたいという漠然とした衝動が働いたことは確かだ。そんな妄想めいた衝動は誰にでも実生活でよくあることだ。それを実行するとなると、それは次元の異なる問題だ。
その鬱屈した思いは東京に帰ってから再び本格的になった。大人になりきらない自分が突然目を覚ましたのではないかという心の動揺があった。平常心で自分を偽ってはいるものの、とうとうここまで破綻が及んで来たかという不安が抑えようもなく頭を持ち上げてくる。もはや自分が引き返せない所まで来てしまったという漠然とした空恐ろしさがある。
とりあえず、彼にできることは自分の内面には何ら破綻はきたしていないと自分自身と世間に対して装うしか術はない。自分を偽るには様々な方法がある。まずは自分の見かけだけを変えて誰の目からも気付かれない変装術を身につけることだ。例えば黒眼鏡をかけるとか、かつらを被るとか……。
待てよ、俊夫は自分に呟く。かつらを被る前に髭を伸ばせばいいのだ。俊夫は何人か髭面の男を知っている。最初の間は馴染なくても見慣れてくると威厳を帯びてくるから妙である。何日か迷ってきた髭を伸ばすという思い付きは、そのような実体験から、他人から見る自分も同じ経過を辿るに違いないという確信に変わった。
そんな訳で髭を生やす決心に至りはしたものの、その決心を実行するとなると、かなり勇気を要することだった。まず最も身近な存在である妻の京子が反対することは目に見えている。その目を欺いて、いかにスムースにことを運ぶかによってことの成り行きが違ってくる。
洗面台の前で、毎朝の決まり切った手順から髭を剃るという作業を省いた最初の一日は、何ごともなく家を出ることができた。次の日の朝になると、俊夫としてはかなり用心深くことを運ばねばならなかった。髭の伸び具合を鏡の中に映る自分の頬に確かめる。明らかに昨日よりは変貌の気配が著しい。それを悟られないように家を出るにはかなりの用心深さが必要だ。
何時もは京子が見送りに出る時に点いたままにしてある廊下の明かりのスイッチを、京子の足取りが近付いて来た瞬間に自分で切った。