副題の“孟母断機”とは、私の繊維業界に関わる言葉なのだが、中国の、孟子の母が孟子に、学問や研究を安易に途中でやめてはいけないということを教えるために、機織りをしながら敢えて織物の糸を切って説いたという話である。現在でも織物、編物の糸が途中で切れると織機、編み機の修復に大変な手間がかかる。私も物作りを仕事にしている者の端くれとしてとても実感できる話である。

ちょっと飛躍するかもしれないが、織機の糸が切れるということから、物作りをする製造工場を閉めるということに置き換えて考えてみた。どんな工場でも工場を閉めると取り返しがつかないことが三つ起きる。

それは、

・設備が廃棄される(失う)

・人(技術者)が散り散りに離散する

・物作りのノウハウが途絶える

というものである。

私の繊維関係のような軽工業もあれば、輸送機械(クルマ)のようなもっと高度な工業もあるが、おおよそこのような、まさに損失が起きる。そして、これら失ったものの復活は絶対にできない。

今、この先実るか実らないか分からない技術の研究を止めることは簡単かもしれない。だが、後になってやはり研究を再開しようと思っても、先に書いたように、その時には設備も人もノウハウも残ってはいないのである。だからこそ、どちらに向かうか定かではない自動車の将来のためにも、電動車、電気自動車の開発と並行して最後までガソリン車の開発も急に途絶えることなく、続けてゆかなければならないのだと思う。

もちろん構造が近いという水素自動車の開発も同時進行であるのは言うまでもない。往生際が悪いと言われようと、将来のCO2ゼロの自動車に繋がる楽しいクルマを最後の最後まで作り続ける自動車メーカーが世界中に多数あって欲しいと思う。