第一章 巡り合い

二〇一三年九月のある日、懐かしい友人から十年ぶりにSNS上に便りが届いた。

「健、久しぶり。僕のことを覚えているかい。君と文通していたロバート・ハミルトンだよ。君は本当にいい友人だった。君とまた交流したいから連絡したよ!」

私の名は、田中(たなか)(けん)。そして私には、北アイルランドに住む、ロバート・ハミルトンという文通友達がいる。彼と知り合ったのは二〇〇三年、ある文通サイトを通してだった。当時私は二十三歳、彼は十九歳のアイルランド青年だった。

彼は赤毛で、優しそうな青い瞳をした、知的でハンサムな、生粋(きっすい)のアイルランド男子であった。彼は、勉学に励みながら、地元の精神科の病院で、清掃・配膳のアルバイトの仕事をしていた。

私はというと、学生時代は目立たない人間だった。眼鏡に(あこが)れ、視力が落ちるまでゲームに明け暮れ、そして本当に眼鏡の似合う男子になってしまった。私イコール眼鏡の暗い男子。いつの間にか周囲にはそういうイメージが定着してしまっていた。いざ眼鏡をかけてみて思ったことは、眼鏡をかけるくらい、視力を落とした自分が情けないということだった。視力を落として初めて、見えづらいことの不便さを知ったからだ。コンタクトレンズは異物感があり、装着できなかった。

そして私のもう一つの特徴が、坊主頭である。髪の毛が薄いのではなく、散髪にしょっちゅう行くのが面倒なだけなのである。こんな私ではあるが、英語が好きだったため、常に海外に目が向いていた。

あれは大学を卒業して一年が過ぎた頃だった。私は双極性障害を(わずら)い、全く働けない時期もあったが、この頃はフリーターとして、何とか仕事にしがみついて生きていた。そんなつまらない毎日に嫌気(いやけ)がさし、海外ペンフレンドを募集し始めた。

初めは、アイルランド共和国に留学経験があったため、アイルランド人の友人を探していた。しかし良い人に巡り合えなかった。そこでイギリス領北アイルランドを含む、北部アイルランドの友人募集と、文通サイトに投稿したところ、二〇〇三年二月のある日、日本と日本文学が好きなロバート・ハミルトンから、友達になって欲しいというメッセージが届いた。私は嬉しかった。何故か分からなかったが、彼とは初めから分かり合える気がした。

当時のメッセージ交換方法は、手紙と電子メールであった。今ほどSNSが普及していなかったため、リアルタイムのチャットや、ビデオ通話などできない時代であった。手紙を何通か送り合ううちに、彼の身の上を知り、愕然(がくぜん)とした。

彼はお兄さんのチャールズを、北アイルランド紛争で亡くしていたのである。それ以来彼とご家族は、悲しみにくれて生きてきたことが、手紙に(つづ)られていた。おそらくあの文通掲示板に、北アイルランド出身のペンフレンドを(つの)ったのは、私が最初で最後ではなかっただろうか。