【前回の記事を読む】【哲学】西洋の神と日本の神々の違いは「自然崇拝」にある

八節 神様の衣装函

春の新緑は言うを待たない。新緑は命の蘇生と循環を思わせ、生命賛歌を叫びたくなる。十和田湖畔の林にて早春のある日、妻のつぶやきを漏れ聞いた。

みちのくの春はゆたかにひろがりて

キクザキイチゲひそと咲きおり

薄紫の控えめな可憐さがいとおしい。

甲府は韮崎付近から見える春の鳳凰三山は神様の春の縮緬(ちりめん)お召しか。頭には(ゆき)烏帽子(えぼし)身丈(みたけ)は桃花模様、そして裾は萌黄(もえぎ)の淡い緑色。「日本ってこんなに美しい!」と世界中に回覧板を回したくなる。

雄々しき甲斐駒ケ岳などさしずめ武神(ぶしん)の黒紋付だ。

長い冬を忍んで待ちに待った弥生、新緑を待ちかねて山々に出かけ、散々に歩き廻るも新緑はまだまだだと帰宅、一風呂浴びて庭の樹木をよくよく見れば、蕾は満を持して膨らんでいる、春は枝頭(しとう)にあって既に充分、これが早春の風景。それからは束の間だ。

遠く眺める森の梢が先ずぼんやりと薄茶色に霞む。それが次第に萌黄色となり、薄緑となり新芽がふいてくる。この頃の期待感は命の(よみがえり)を待つ思いで私の最も好きな季節。

新緑前に桜前線が日本国中をあっと言う間に北上、吉野は全山俯瞰が一番。好むは楚々たる風情の山桜が針葉樹林の中に控えめに咲く保津峡、そそり立つ山々の斜面に垣間見る。伊豆の河津桜は2月の温泉情緒。御母(みほ)()ダムの樹齢400年の荘川桜。岐阜の薄墨桜はえも言われぬ老神の訪問着。

角館の土手桜、弘前城の爛漫たる桜花(おうか)の衣裳美、宇陀の又兵衛桜、真庭の落合桜、醍醐寺の桜などなど、日本人の魂の移入したような老樹は見事!!

だが三春町の滝桜は神様にまみえた思い。京都円山公園の枝垂桜は夜の華麗な訪問着。奥琵琶湖海津大崎桜は湖上の船からは格別。大峯山奥駈(おくがけ)(みち)太古(たいこ)の辻から見た全山アケボノツツジの大日岳。台高山脈中央部の池小屋山頂のシロヤシオの群生は感嘆と感動、正に乙女の神様の白無垢(しろむく)衣装だ。この花は五葉(ごよう)躑躅(つつじ)とも申す私の最も好きな花、愛子内親王の紋所となった。

九州は九重山、坊がつる湿原の四面の山々のツツジは神様の野良着とでも言えようか。