仏陀は、王族の皇太子、ひとり息子でした。妻との間には生まれたばかりの息子がいました。しかし、妻を捨て、生まれたばかりの子供を捨て、王である父を捨て、継ぐべき王位を捨て、家臣を捨て、領民を捨て、宮殿を捨てて、一介の修行者となりました。これは、王である父親が最も怖れていたことでした。

しかし、仏陀はすべてを捨ててしまいました。国の統治者となるべき責任を放棄しました。父親としての責任、夫としての責任もすべて放棄しました。あらゆる関係性を断ち切って、出家したのです。そのような人が『この世はすべて関係性でできている。自分以外のものに支えられて生きている。世間様のおかげで生きていられる。ありがたい。ご縁を大切に』と言うでしょうか。

これに限らず、数多くの疑問が沸いてきました。どの解説書にも、十二縁起について納得できる解説がなかったことも不思議でした。四諦の法と並んで十二縁起の法は、仏教の根幹とも言える理法のはずです。そこで、後世の仏教解釈をすべて白紙にして、古層の原始仏典から、仏陀は本当は何を言ったのか、を探求していきました。

仏教史には数多くの天才たちが出現します。その多くが各宗派の宗祖となっていますが、私はそれら後世の宗祖たちや後世の仏教者たちの解釈をいったん白紙にして、何の知識も差し挟まずに古層の仏典にあたることにしました。その結果は私にとっては驚くものでした。今まで私が仏教として理解していたものと、仏陀が本当に言いたかったものとは、大きく違うように私には見えました。

『仏陀の真意』という大それた題名をつけていますが、もちろん、これはあくまでも『私が考える仏陀の真意』にしか過ぎません。今までの解釈を捨てて、私の解釈を信じてほしいなどとは思いません。『自らを島とせよ』という仏陀の言葉があるように、仏教は自らが自らの考えで探求していくものだと考えているからです。

私が考える、私だけの、『仏陀の真意』です。それでも、この本が、皆さんが原始仏典に直接触れて『仏陀は本当は何を言いたかったのか』を探求されるきっかけになればと思っています。