山北地区
酒が進むにつれ、高取は次第に愚痴っぽくなっていた。彼の愚痴は単に不平不満をだらだらと話すのではなく、「こうすればもっといい町になるのに」的な地元愛を感じさせるので、それほど聞き苦しくはない。
高取康夫は、地元の国立真栄山大学を卒業して月城市役所に入り、現在は生活環境課主査だ。吾郷の採用審査に当たっては人事部からの人物照会に好情報を提供してくれたと聞いている。
採用されたのちは役所の内部事情を含めて、吾郷は彼からアドバイスをもらうことが多い。高取は少々気の弱いところがあり、正しいと思ったことを主張しても相手に強く反論されるとすぐに矛を収めてしまうときがある。この手のタイプは溜め込んだストレスを一気に爆発させることがあるが、彼の場合は気の置けない仲間に少しずつ愚痴としてガス抜きし、精神のバランスを保っている。
それは高校時代と変わらない。吾郷が生徒会長だったとき、高取は書記長を務めていた。主には突っ走り気味に生徒会活動を仕切る吾郷に反発する生徒たちのなだめ役だった。そして、あとで吾郷に愚痴をこぼす。補佐役としては適任だった。おそらく役所でも上司に疎まれず、同僚にも敵が少ないだろう。役人としては理想的な性格かもしれない。
「うん、その気持ちわかる。よーくわかる」吾郷はなだめるように麦酒を注いだ。
愚痴はこぼすが酒癖は悪くはない。だからこうしてつき合う。
「アゴんとこの表部長だって市長のイエスマンじゃ困るよ」
矛先が吾郷に向いてきた。
「というと」
「そりゃ山北地区の……」と言いかけて、高取は急に口をつぐんだ。
「なんだよ、トリ。開発許可に何か問題があったのか?」
吾郷の疑問に、高取は慌てて人差し指を唇の前に立てて神妙な顔で周囲をうかがい、顔を近づけて小声になった。このあたりの所作はやはり公務員だ。
「小さな町だからどこに耳があるかわからんからな。この話はやめよう」
「つまらん奴だな。小役人め」
吾郷はからかいの皮肉を言った。話題を変えてしばらく飲んで、その日はお開きとなった。
山北地区は月城市の西端に広がる豊かな森林地帯だ。元々は市有地だったが、現在の市長が当選してすぐに地元の開発業者に開発許可をだし、順次払い下げられて企業誘致用と宅地造成のための開発が進んでいる。産業振興課も絡んでいたが、吾郷の着任前に決定された案件なのでこれまであまり意識はしなかった。――ピクニックがてら見にいってくるか。吾郷は高取の言葉が気になっていた。