出発
「あ~、どこまで話したかな、そうそう、京子が海外旅行が苦手って、話だったな」苦手なのは『海外旅行』ではなく、『飛行機』のほうだったが。
その声の主は微妙にニュアンスを変えていた。その声は、熱くなった感情を抑えるようにして、再び話し始めた。「ダイジョウブだよ!京子!なにも心配は要らないヨ。その宇宙船を普通の飛行機と比べてもらっては困るよ!安全にだって万全を期しているんだからね。なんせ空飛ぶロールスロイスみたいなものだからね!ワハハハハハッ!ただ……」
声のトーンが、それまでの少し陽気なものから、ちょっと真面目なものへと変わった。「上空1万5000メートルで、親機から切り離されて本体のメインエンジンに切り替わったときは、多少、衝撃があるかもしれんがね。京子はジェットコースターみたいの好きだろ?それよりちょっと刺激的だってだけのことだよ!ワハハハハハッ!」
「そっ、そうなんですか?私、そっち系苦手なんですけど……」彼女は、心配そうに言った。たしかに彼女は、簡単な身体検査と、緊急時の脱出訓練、それに資料を使った説明は受けてはいたが、その点については言及されていなかった。
「……」スピーカーの声が一瞬途切れた。船内にはエンジンの音だけが響いていた。
すると、また、なにやらスピーカーから、大声でわめくような声が聞こえてきた。「なんだね!このマズイコーヒーは!こりゃ馬の小便かなにかかね!日本にも美味いコーヒーくらいあるだろ!この後、この件について、担当者には、きちんと説明してもらうからな!いいな!今日の会議は長くなるぞ……」また揉めているようだったが、京子は、特別気に留めなかった。
「……あ~とにかく京子、君には期待してるよ!それでは準備が整ったようだ。みんなの健闘を祈る。では、GoodLuck!」そう言うと、そのアナウンスは少し不自然な感じで終了した。
気がつくと、さっきまで窓の外で作業していたスタッフが、既に引き上げていた。それまで不安と格闘していた京子も、窓越しに見える、彼女たちを見送る大勢の人たちを目にすると、彼女の中でなにかが吹っ切れる思いだった。
「こんなんじゃダメだ。しっかりしなきゃ。応援してくれてる、みんなのためにも」京子は、自分自身に言い聞かせるように、小さく呟いた。
しかし、実際、心の中では、それまでの人生で感じたことのない異様な期待と不安で、異常な精神状態になっていた。