子どもの力ってやわらかい
長男家族、特に子どもたちとの関わりは、二男の初期のゆっくりした(年単位、あるいはそれ以上かかる)回復に、やわらかい光を当ててくれました。当時は中学二年生と小学二年生の甥っ子たちでした。自家菜園でとれた野菜や山の幸を届ける場で、手作りのお菓子やカードを手渡す場で、我が家の収穫祭の場で、山登りの場で、甥っ子の運動会や発表会の場で、互いの誕生日を祝う場で……
さまざまな場が、誘い誘われるという嬉しい気持ちを育ててくれたように思いました。長男夫婦のさりげない子どもたちへの助言によって、いっそうゆるくて温かい場(判断も否定もない居場所)が生まれていきました。このような交歓の場を経たからこそ、二男の回復の兆しが生み出されたのだと思います。
二男は、甥っ子たちの真っ直ぐなリアクションが嬉しかったのに違いありません。迎えるにあたって、どんなことをしたら喜ぶだろうか? どんなメニューにしようか? などと工夫していきました。
私も孫の反応を想像すると面白くなって、一緒に作りました。『夕陽日報』を綴ることが日課になり、これら孫たちと二男のシーンを思い起こしながらスケッチブックに向かう夜は、ひとりでに笑えてくる幸せな時でした。
やっと顎が出るぐらいの調理台で、二男と並び「鬼まんじゅう」を作っていた小さな甥っ子が、やがて中学生になり、彼のドラムと、少しずつ回復して再び音楽を取り戻した二男のピアノとが皆さんの前でコラボするなんて、それを私たちが見聞きできるなんて、夢にも思いませんでした。
二男はまず父母と兄を受け入れてくれました。次に心を開いたのは、兄夫婦の子どもたちです。彼らのやわらかな横糸を織り込んで、二男は自分という布(自分とは他者との関係で見つけられるものだと実感)を少しずつ織り始めました。自分の家以外にも、小さいけれど安心して長く居られる社会ができ始めました。