中村 俊郎・眞知子・潤
中村俊郎(なかむらとしお)
1950年、伊勢の度会の地に生まれる。大学卒業後35年間、教育現場や教員指導の場で勤める。退職後自分がやりたかった山の仕事を一人楽しむが、62歳からは「二男と生きよう」と決め、一緒に山に入り薪づくりをする。「分け入つても分け入つても青い山……山頭火」を求めて。「逃病せずに闘病しよう」と、癌再発後は田舎の物々や、詩など書き留めてきたものを整理する。「世話になった人や教え子たちを招いて、生前葬で語り合いたいなあ……」と言いながらも、急に体調をくずし、2020年10月6日に永眠。
中村眞知子(なかむらまちこ)
1950年、伊賀の地に生まれる。同じ大学で出会い卒業後結婚し、津と度会で教職に33年間携わる。61歳からは「三人の生活を豊かに」を心に、花や野菜や果樹の世話をする。今は、腰痛から畑作りを諦め、草もあまり引かなくなったが、代わりに65歳の誕生日に買った二胡を弾いている。『なかむら夕陽日報』は、たまたま家にあったB4版スケッチブックを好きなように使って、鉛筆や色鉛筆で描き始めた。「いつか息子と共演できるかなあ……」
中村潤(なかむらじゅん)
1978年、度会の地で生まれる。高校時代に友と合わせる音楽の楽しさに目覚めた。
大学卒業後ロサンゼルスに音楽留学し帰国後東京でバンドを組み全国を回ったが、病気を機に故郷へ戻る。この時捨てたはずの音楽を、障がい者が奏でる音の饗宴を聴き、再び楽器を手にするようになった。2020年、障がい者音楽コンテスト「ゴールドコンサート」で入賞。楽器店に短時間勤務を続けながら、病気とうまくつき合えるコツを見つけている。「僕の思考を、量販店から専門店にしよう……」と。
1950年、伊勢の度会の地に生まれる。大学卒業後35年間、教育現場や教員指導の場で勤める。退職後自分がやりたかった山の仕事を一人楽しむが、62歳からは「二男と生きよう」と決め、一緒に山に入り薪づくりをする。「分け入つても分け入つても青い山……山頭火」を求めて。「逃病せずに闘病しよう」と、癌再発後は田舎の物々や、詩など書き留めてきたものを整理する。「世話になった人や教え子たちを招いて、生前葬で語り合いたいなあ……」と言いながらも、急に体調をくずし、2020年10月6日に永眠。
中村眞知子(なかむらまちこ)
1950年、伊賀の地に生まれる。同じ大学で出会い卒業後結婚し、津と度会で教職に33年間携わる。61歳からは「三人の生活を豊かに」を心に、花や野菜や果樹の世話をする。今は、腰痛から畑作りを諦め、草もあまり引かなくなったが、代わりに65歳の誕生日に買った二胡を弾いている。『なかむら夕陽日報』は、たまたま家にあったB4版スケッチブックを好きなように使って、鉛筆や色鉛筆で描き始めた。「いつか息子と共演できるかなあ……」
中村潤(なかむらじゅん)
1978年、度会の地で生まれる。高校時代に友と合わせる音楽の楽しさに目覚めた。
大学卒業後ロサンゼルスに音楽留学し帰国後東京でバンドを組み全国を回ったが、病気を機に故郷へ戻る。この時捨てたはずの音楽を、障がい者が奏でる音の饗宴を聴き、再び楽器を手にするようになった。2020年、障がい者音楽コンテスト「ゴールドコンサート」で入賞。楽器店に短時間勤務を続けながら、病気とうまくつき合えるコツを見つけている。「僕の思考を、量販店から専門店にしよう……」と。