【前回の記事を読む】母「息子が消えていくようで…」統合失調症の子と生きる覚悟
夕陽日報
スケッチブックに書いた絵日記を我が家の新聞『夕陽日報』と名付け、その後も拙い絵と文で書き続けたのは、次のような理由からです。二男が見てくれて、帰るきっかけになってくれたものだから。これなら二男が反応してくれて、私と話せるのではないかと思ったから。
でも一番の理由は、過去も今も消し去ったような二男に、「あなたは、今日はこんな暮らしをした……。昨日はこんなふうだった……。後ろには、暮らしが残っているよ……」と、二男に自分の一歩一歩を感じてもらいたいからでした。
読む力が弱っているので、視覚なら叶えられるかもしれないと考えました。二男は、回復の是非も分からぬまま、高くて厚い壁の向こうへと、一日一歩進み始めました。言葉が出なくても、私たちが不安になる行動でも、「活動できたらいい」と口癖のように言った夫の言葉のように、彼の周りには毎日毎日の営みが確かに刻まれていきました。このことを『夕陽日報』は教えてくれます。
初めて買い物をしたかごの中身、黙って遠くへ行ってしまった日、何かに心奪われたような場所、初めて笑った日の出来事、初めて一人で津のデイケアへ出発した後ろ姿、初めて聞いた鼻歌の一節、気分転換と言って外に出た雪の翌朝……。その日見つけた小さな驚きは、知らぬ間に私自身を励まし、心の波を鎮めてくれていました。
『夕陽日報』は我が家で三年間続きました。その間の私たちの様子は、三六冊のスケッチブックと、家族会の会報に載せていただいた次の記事(一部加筆修正)から窺えます。