【前回の記事を読む】愛する息子の日々の営みを重ねて…我が家の新聞『夕陽日報』
夕陽日報
何も話さぬ息子の口から季節の変化がついて出たのは、もしかしたら彼も、スタートラインを探していたんじゃないだろうか? あるいは、もう踏み出していたんじゃないだろうか? 彼は、病気のために帰るしかなかった故郷の野山を歩いた。草を引き草を刈った。薪を割り積んだ。木を削って箱を作った。畑作業をした。人とのつながりも、思考も、自己表現や自己管理もままならぬ中、動ける時々には一人で、やったことのない作業をゆっくり自分流でやった。夫は黙って見守った。私は、可哀想なのか、これでいいのか、分からなかった。
ある日、私が神社の傍にある山へ様子を見に行くと、静かに作業する彼の姿が、社の森に溶け込んでいるように見えた。小動物や木々や光や風と同じ気配でそこにいた。声が掛けられないほど私は圧倒されて、そっと帰った。誰も傷つけ合わない世界を壊してしまいそうだった。これがいいんだ……彼は気高くて、幸せそうだった。
冷たいガレージで薪を作り、野菜にかぶった雪を手で除き、竹林で竹を切ってエンドウに手をあげ……、そんな二度目の冬を越え庭の花が一斉に咲き出し野山は緑になった。鳥が訪れて、野菜が育ち、果樹が実った。鳥や花や木の名前を知っていった。彼が参加し始めた当事者会で、そんな自然のことを報告したと、私たちに伝えた。冒頭の彼の言葉は、ちょうどそんな頃の言葉だった。
自らが身を置いた環境で、何とか活動した! という小さな実感のつながりが、季節の流れという言葉を借りて彼の口をついて出たんだな……と私は思った。彼の意志で作ってきた十余年の道を捨て、自分の意図せぬ環境に置かれても、彼は何かをつかもうとしていた。ままならぬ状態でも、「今日は動けた、明日はどうかな?」と自然に身を置き、季節の中を歩いているのだ。
挿絵は『夕陽日報』という我家の新聞の一コマで、発行者は私だ。息子も少し俳句や絵で参加した。今読み直してみると、そこには息子からの大事なメッセージがあるように思う。「僕は体で感じ取っている。大きな自然の営みと一緒にいるよ」と。目に見える症状を見てしまいがちな私に、目に見えない心情を見てほしいと控えめに伝えていた。……そう思うと一年間で履きつぶした彼のスニーカーが、私の手の中でズシッと重くなった。
二男は、二年目に、院内の若者向けデイケアに週一度参加できるようになり、三年目になって伊勢のサポートステーションへ行き始め、その間にゆっくりですが話し出しました。私は二男と交流した『夕陽日報』を終えて、今度は直接に話していこうと思い始めました。
けれども話し言葉でのコミュニケーションは、同時に聞くことと話すことを組み立てなければなりませんし、抽象的な言葉から想像することは互いに違ったりずれたりしていますので、絵と短文の対話よりも難しくなります。相手の表情や抑揚の影響を受けて、更に複雑・不確かなものになっていきます。会話の数が急増した現在は、行き違いだらけ、衝突だらけで大変です。でもこれって通常の会話でも大いにありますね。