プロローグ
オンライン追悼会
彼は久しぶりに少年時代を思い出したかのようにゆっくりと言葉を選びながら続けた。
「その後僕は京都の今度はプロテスタントのミッション系高校に行ってそれから上京して美術大学に入ったので弟とは学校が休みの時しか会わなくなりました。あれは弟が高校を出たての春休みのことだった。大学に早々推薦入学が決まって寛二はどうせすることがないから運転免許を取るって言いだした。
それで近くにあった洛東ドライビングスクールという自動車学校に通いだしたんだが、何度やってもテストにパスしない。自動車学校のコースを走っている時から強引で危うく他の教習車とぶつかりそうになる。それでも辛うじて仮免に到達して路上教習に入ると、蕎麦屋の配達のバイクと衝突しそうになるわ、歩道に乗り上げるわ、もう滅茶苦茶で、指導員もサジを投げた。
結局“運転不適合者”のレッテルを貼られて帰って来た。ゴルフも試したがうまくはならなかった。最近は本を書く以外に何をしていたのか知らないんです。何しろ地理的に離れていましたからね。ここからは晃君、君にバトンタッチすることにしようか」
斉田寛の息子・斎藤晃はCGデザイナーである。千葉の実家からオンラインで参加。彼は若いに似合わず謙虚な態度で言った。
「僕のような若輩が偉い人を差し置いて先に発言するのは気が引けるので、やはり僕たちの古い知り合いである“百万遍のおじさん”から始めてもらえませんか」
“百万遍のおじさん”こと守屋政蔵は斎藤家の古い知り合いである。京都から参加。京都のK大の名誉教授で現在二つ目の大学で哲学教授。彼が“百万遍のおじさん”と呼ばれるようになった訳は京都市左京区の百万遍交差点のど真ん中といってもいい百萬遍、知恩寺のすぐ隣に住んでいて、しかもその家は守屋氏が生まれた時からそこに建っていたことだ。守屋氏がその家を離れたのはドイツ留学中くらいである。守屋氏は若者に言って聞かせるように言った。
「晃君、人間に偉いとか偉くないとかはないよ。みんな偉いと言えば偉いし価値がないと言えば価値がないんだからね。第一我々はいまだになぜ自分がこの世に存在するのか、その根源的な問いに答えを見いだせていないじゃないか。まあこれを論じていると日が暮れるから先ずは気になることから……」
守屋氏は斉田寛の息子の斎藤晃から見れば祖父の世代に近い。しかしまだまだ意気軒高らしく、このパンデミックでデジタル環境が大きく変貌を遂げたにもかかわらずリモート追悼会に見事に順応している。