彼は年長者らしく先ず斉田夫人の体の具合を息子に尋ねた。守屋氏は昨年末の斉田寛の葬儀にわざわざ京都から駆け付けた。その時に晃の母と会っている。だが彼女とはほとんど言葉を交わさなかった。葬儀は家族の希望で内々に家族葬で行い、あれほど交際が派手で顔の広かった故人にしてはひっそりとしたものだった。

「よくありません」

「癌だとお聞きしているがひどく悪いんですか?」

「この二月におっぱいにしこりがあると本人が言って、いやがるのを無理矢理国立がん研究センターに検査に連れて行きました。マンモグラフィーと細胞診を受けたらステージⅠからⅡの間で、良性か悪性か見極めるために三か月後に再検査に来いと言われていました」

「もうそれから三か月になるじゃないか」

「ええ、分かっています。でもただでさえ医者に行きたがらないのにコロナウイルス・パンデミックが追い打ちを掛けて、本人は絶対病院には行かないと頑張るんです。それで困っているんですが……」

「心配だね。寛二君が生きていたらねぇ。生前は清美さんの具合が悪くなるといつも付きっ切りで看病していたというから。寛二君は有名な愛妻家だったから奥さんが今度の事故のショックからまだ立ち直れないのも無理はない。このコロナウイルスの問題さえなければ見舞いに行って早く病気を治して元気になってくださいと言うのですが。君の方は大丈夫かね? フリーのデザイナーをしていると聞いているが……」

「僕はイベント会場の設計・デザインを仲間とやっていましたが仕事がぷっつりと切れてしまいました。でも愚痴を言っても仕方がない。現状の中で出来ることをするしか……お袋が体調がすぐれないんで白里に戻って面倒を見ながらボランティアをやっています。医療用の立体マスクのデザインをネットで公開したり、フェースシールドを3Dプリンターで制作して近くの医院に寄付したりとか」

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