「二〇〇〇年に、日比谷線中目黒駅構内で列車脱線衝突事故が発生しただろう。その時、私は救急機関員として現場に出たんだ」
菅平は六十人以上が死傷した都内の電車事故の記憶を語り始めた。
「あのときは、現場には大勢の傷病者が横たわっていて、本部からは最も緊急性の高い人から搬送しろという指示があった。赤タッグを付けられた人が何人もいて、正直、私にはどの人も優先順位が高いだろうということしかわからなかった」
当時は、今みたいに携帯電話もなく、無線交信もかなり混乱していたらしい。
「……でも、当時の隊長が指揮本部の担当官と話して『この人を搬送する』ってすぐに決めたんだ」
「どうして、その傷病者を選んだんですか?」
「それが、不思議なことに、現場の勘みたいなものらしいんだ。沢山の傷病者が、みんな頭を同じ向きにして、整然と並べられていたから、何人もの赤タッグの傷病者の顔色や雰囲気を一瞬で見比べて、この人が一番先だ、って決めたらしい」
「へえ、すごいですね」
「確かに。そこで『どうしよう』って迷っていたら、その人は助からなかったかもしれないな」
頭をそろえて整然と並べる……舞子は、消防学校での救急訓練を思い出した。
マットの上に、心肺蘇生訓練用人形を同じ向きに並べ、救命処置の訓練を実施した。数十人の初任学生が訓練をするので、人形の数も数十体ある。その際、教官から「全員が傷病者の頭の位置を揃えろ」と何度も注意されていた。そういう、普段からの習慣が、多数傷病者発生時の活動にも役立っているのかもしれない。
「救命できたんですか? その傷病者」
「そう。多発外傷を負っていたけど、病院で治療を受けて回復された。数ヶ月後、消防署にお礼の手紙が来たんだ。驚いたけど、嬉しかったなあ」
救命した傷病者からお礼の手紙を受け取る。救急隊にとって、これほど嬉しいことはない。
「よかったですね」
「いや、いいことばかりじゃなくてね……。実は、その時、初めて経験する大規模な災害現場で、つい、救急車を運転する手が震えてしまったんだ。すっかり舞い上がっていて、朝の通勤時間帯だったのに、つい、混んでいる道路を選んでしまって、後から隊長に叱られたよ」
そういう経験があるから、水上の道路選定にも厳しいのかと舞子は納得した。