気鬱の病は、要らぬ被害妄想に囚われると曲直瀬道三が言っていた。儂は舌打ちをした。義興様を喪われて以来、長慶様は正気を失われている。おそらく繊細な精神が仇となって疑心暗鬼に陥り、良からぬ妄想に囚われてしまったに違いなかった。冬康は昨年、久通のために大和まで援軍を寄越してくれたし、それ以前からも冬康は心強い味方であった。三好実休、十河一存と、四兄弟のうちの二人まで亡くしている三好家にとっては、安宅冬康はなくてはならぬ存在であったし、彼を喪ったことは痛恨の極みであった。まだ四十路前というに、もう二度と帰らぬ人となってしまった。
「御屋形様、松永弾正少弼、罷り越しましてございます」
もしかすると儂も誅されるかも知れないと思いつつも、居ても立ってもおられず、儂は飯盛城の長慶様を訪ねた。
「おぉ、霜台。良う来てくれた。私は取り返しのつかぬ事をしてしまった」
遅すぎた儂の来着に、長慶様は走り寄り、跪き、まるで幼い子どもがするように儂の脚に縋るようにしがみついた。長慶様はすっかり憔悴しきっておいでで、気鬱と此度の一件のためか、かつての従容典雅・容姿凛然たる様は、見る影もなかった。その姿を目の当たりにした時、此度の一件について問い詰めたい気持ちも、叱咤したい気持ちも儂の心からは消え失せて、唯々優しく慈しみたい気持ちでいっぱいになっていた。
「御屋形様は何も仰らなくて良いのです。御屋形様の御心の内は、この弾正、大方は承知しておりますので、どうか御心安らかになさいませ」
長慶様は儂の右の脚を抱きしめたまま、「許せぇ、許してくれぇ」と、唯々涙を流されていた。飯盛城に出仕する久通によれば、その後の長慶様の御容態は日に日に悪化し、生ける屍の体であるという。今一度、将軍義輝公と京童に三好家の威光を示すべく、三好重存様は、三好長逸と久通を副将とする兵四千を率いて梅雨の晴れ間の京に入った。上洛の翌日には、大納言広橋国光卿、宮内卿の清原枝賢卿、竹内秀勝の兄で三位の竹内季治卿の付添いを得て、将軍義輝公に謁見し、三好家の家督を改めて認めていただいた。