話せないこともあるだろうからという配慮がそこにあったからではなく、話を元に戻して、混乱する頭を整理したいという思いがそうさせただけのことだった。

彼は、「豊君の考えでは、島洋子さんが有力なんですか」と尋ねた。

「他にも容疑者は複数居る。少し調べただけでも、中原純子という人にはトラブルが多い」

それを聞いて北村大輔は、落ち着きを取り戻した。彼は島洋子という人が好きで、犯人であって欲しくないと切に願っていたからである。

そして二人の間には沈黙が訪れた。十六年前に死んだ、高倉大吾の墓の前に居た二人の頭の中には、死者の記憶が鮮烈に蘇ってきていた。

二日後(九月二十三日)の夕方、三交代制の交番勤務を終えると、北村大輔は直ぐに車で島洋子の家に向かった。

前日に彼の母親から、島洋子の新たな住所を聞いていた。そのアパートは以前靴屋だったところに建てられていたので、地図など書いてもらわなくても容易に理解することが出来た。

北村大輔が職場のロッカーから持って出たポーチの中には、単行本が入っていた。それは島洋子の次男、島洋二郎が本名で昨年出版した自伝的小説だった。

『綾』(島洋二郎の自伝的小説より抜粋)

出院当日、母が迎えに来てくれた。前のときもそうだった。ただし、初等少年院を出るとき迎えに来てくれた、兄貴の姿はなかった。兄貴はずっと怒ったままなのだろう。仕方ない。俺が悪いのだから。

職員の人達に頭を下げて、中等少年院を出た。

母が昨日のうちに倉沢綾子の家に電話を掛けていて、出院後直ぐに彼女の家に行くことになっているという。

ちょうど夏休みの時期だったから、午前中に会いに行っても、倉沢綾子は自宅に居るという訳だ。手回しがいい母に俺は驚きながら、それってもしかして、母も彼女の家に一緒に行くということなのかと思い尋ねたら、そうだという返事が返ってきた。