それから数か月。三月には外出許可をもらって沙織の運転する車で東京タワー周辺まで花見に出かけたり、四月に仮退院した際は新宿にオープンしたばかりの高速バスターミナルを見に行ったりしたという諭だったが、その後新たな治験のため別の病院に入院したとの知らせが届いた。
「前回とは違う薬ですが同じような効能のある治験薬が出てきて、完治は見込めなくてもできるだけ白血病細胞を減らす効果は期待できそうです」
しかしそのメールが来た一か月後には、
「思うような結果が得られなかったので、治験を中止し、また元の病院に戻りました」
と、諭本人から極力感情を抑えているような報告があった。「次の機会に向けて調整します」と書かれていたが、彼の体はもう限界に来ていて治験を始めるのも継続するのも困難なのだろうか、という最悪の事態を想像し布由子は苦しかった。それでも奇跡が起きる事を信じようと、無理にでも前向きな気持ちを奮い立たせようとしていた。
父の葬儀後しばらく経って母は退院したが、哲生一人では在宅介護が困難となったので、見かねた布由子が二月に市役所で特別養護老人ホームへの入所申請をした。介護度や家庭環境などで点数化される待機の順番が、思いの外早く進み、五月の連休過ぎに施設への入所が可能となった。
沙織からは諭の状況に加えて弓恵との弁護士交渉の経過などが事細かに送られてきた。弓恵はもちろん、子どもたちと諭の間にも修復しがたい亀裂ができていた。布由子は諭の心身の平穏を一番に思う一方で、寄る辺の少ない甥と姪の将来を心配し、支えてやりたいとも思っていた。