【前回の記事を読む】病気に罹った弟を救う骨髄移植、検査の結果に家族絶望…

諭の病気

九月初めに諭から、沙織と入籍したという知らせがあった。

「こんな状況下ですが、二人で力を合わせて病気と闘って行こうと、気持ちを新たにしたところです」

という諭からの報告に対して、

「おめでとう。こんな状況でも結婚してくれて、沙織さんに感謝ですね」

と布由子は返信し、諭も「本当に」と応えた。これから起こるであろう諭の子どもたちとの間の波風が心配ではあったが、複雑な思いには触れなかった。

骨髄バンクの登録者からも、諭とHLAの型が一致するドナーは見つからなかった。化学療法では白血球の数値に改善が見られなかったため、病院を変えることになったらしい。転院先は白金台にある[臍帯(さいたい)(けつ)移植]の評価が高いという病院だった。

布由子が九月市議会の社会委員会で、課長の役割である条例案や補正予算案などの説明と質疑への答弁を何とか無事に終えた頃、九月下旬に諭は転院した。そして放射線治療と抗がん剤投与をこなした後、十月末に臍帯血移植を行ったと報告があった。

妊娠中の母親と胎児を結ぶ[へその緒]と胎盤に含まれる血液を臍帯血と呼ぶ。母親から前もって臍帯血提供の同意書が得られた場合、出産の際に素早く無菌状態で採取し、超冷凍で保存したものを患者の静脈に注射するという臍帯血移植は、骨髄移植に比べるとHLAの一致などの条件について許容範囲が緩く捉えられているらしい。

しかし移植後白血球ゼロの状態が続いた後で発熱が続いたことなど、諭からは哲生と布由子宛に詳細な経過がメールされてきた。良くなったりまた悪くなったりを繰り返す中で面会できない月日が続いたが、十二月上旬になると「経過は順調で近々退院できそうだ」という文面が送られてくるようになった。布由子は見知らぬ母子の臍帯血が奇跡をもたらしたのだと信じたかった。

実家の方では、ときどき布由子が様子を見に行くと、母の介護が重荷になっていた父の愚痴が多くなってきた。その父親自身も身体機能や認知機能が低下して、ある日ちょっとした物損事故を起こしたのが十一月で、布由子らが説き伏せて運転免許証を返納したのだが、その頃から急激に気力を失っていった。