【前回の記事を読む】法隆寺問題はまるでボタンの掛け違い…複雑な謎を解く鍵とは⁉
昭和大修理の科学的知見
法隆寺(西院)の完成、すなわち法隆寺の五重塔四面の塑像と中門左右の金剛力士像が完成したと『伽藍縁起』が記す和銅四年(七一一)以来、法隆寺では何度か大規模な補修が行われてきました。その中でも、太平洋戦争をはさんだ昭和九年(一九三四)一月から同三十年(一九五五)一月まで行われた「昭和大修理」は、近代科学の手法を取り入れて大規模に行われ、大きな成果を挙げました。
昭和大修理は建物の修復が主な目的ではありましたが、修復と併せて、法隆寺の建物について詳しく調べることも重要な目的となっていました。本節では、この昭和大修理で得られた知見をもとに、天智紀の法隆寺大火災記事の信憑性を確認することにします。
年輪年代法による木材伐採年
年輪年代法とは、木材の年輪パターンをもとに、その木材が生育した時代や伐採された年次を把握しようとする手法です。木材は一年ごとに年輪が一つ形成されますが、生育期間中の気候によって年輪の間隔が細かくなることもあれば、粗くなることもあります。このように気候の影響を受けて形成される年輪パターンは、同じ気候環境で育った同種の木材であれば、同様のパターンを形成することになります。
年輪年代法では、事前に古い木材をもとに、その地域における標準の年輪パターンを作成しておきます。調査対象の木材の年輪パターンと標準の年輪パターンとを比較し、対象木材の生育時期を特定するのです。このとき、もし対象木材の樹皮や樹皮に近い層が残されていれば、対象木材の伐採年を正確に推定することが可能になります。
なお、ここに紹介する年輪年代法による分析結果は、昭和四十三、四十四年(一九六八、六九)に行われた若草伽藍の発掘調査報告書を作成する過程で得られたものであり、厳密には昭和大修理で得られた直接の成果ではありません。しかし、調査に用いられた木材の大部分が昭和大修理で得られたものであることから、昭和大修理の一環として紹介します。
法隆寺では、昭和大修理で発生した金堂、五重塔、中門の部材が大切に保管され、さらに昭和大修理よりも前に発生した古材も保管されており、平成十四年(二〇〇二)~平成十六年(二〇〇四)、それらについて可能な限り年輪年代法による詳細な分析が行われました。