長い間、絶対に正しいと信じられてきたものが、実は誤りだと気付かされたとき、おそらく多くの人は素直に受け入れることができず、事実に対して強い拒絶反応を示すことでしょう。

これまでの古代史研究は、『日本書紀』に大きく依存してきました。しかし、そのことが原因で古代史は(ゆが)められ、誤解されてきた可能性があります。正史として揺るぎない地位にある『日本書紀』ですが、一面で不幸な歴史を歩んできたことを忘れてはなりません。正史となれば、その権威によって記載された内容に誤りはないという暗黙の了解が形成されます。

加えて、『日本書紀』には明治時代から太平洋戦争終結まで、国家の権威を高め、国民意識の高揚を図るという目的に利用された過去があります。このような事情で、これまで『日本書紀』は史料として厳しい批判に(さら)されることがほとんどなかったのです。

しかし、このことによって、『日本書紀』を基礎にした古代史研究は広く行われながら、一方で、『日本書紀』そのものを批判的に研究するという姿勢が不十分になり、古代史研究に思いがけない盲点を作ってしまった可能性があります。

たとえば、『日本書紀』には「法隆寺」と表記された記述がただ一箇所あります。この記述は漢字でわずか二十四字でしかないのですが、『日本書紀』の完成から千三百年の間、この二十四字の記述の真意を見抜くことができなかったばかりに、法隆寺研究は袋小路に迷い込み、古代史研究も混乱しています。

実は、『日本書紀』にはいくつかの完全犯罪が隠されています。そこに悪意はないのですが、その完全犯罪によって古代史は大きく歪曲(わいきょく)され、誤解されています。古代史の理解のためには、『日本書紀』の完全犯罪を見抜くことが不可欠なのです。

ところが、『日本書紀』の完全犯罪を見抜くことは簡単なことではありません。『日本書紀』の理解のためには法隆寺の理解が必要であり、また同時に、法隆寺の理解のためには『日本書紀』の理解が必須なのです。まるで鶏と卵のような関係ですが、『日本書紀』と法隆寺は表裏一体なのです。

本書は、まず法隆寺に関する二十四字の記述の真意を解明してまいります。その二十四字の記述の意味が明らかになったとき、『日本書紀』に秘められた真の目的と、法隆寺の実像が歴然と浮かび上がり、これまで『日本書紀』によって構築され、誤りはないと信じられてきた古代史が根本から刷新されることになります。