昭和大修理の科学的知見
●論理的帰結
浅野氏は、自分が当初発表した「(放置されていた年数は)少なくとも数十年」という表現に建築の専門家として自信を持っていたことでしょう。しかし、「(放置されていた年数は)少なくとも数十年」と浅野氏が主張し続けた場合、天智天皇九年(六七〇)四月に大火災があったとする天智紀の記述を完全に否定することになると誰かに指摘され、浅野氏はその誰かの圧力と自分の見解がもたらす影響の大きさに配慮したのでしょう。
その結果、浅野氏は「かなりの程度(少なくとも十数年を超えると判断された)の風蝕が認められた」という新しい表現を追加することにしたと推察します。
ところが、誰かの圧力に屈したように見えた浅野氏ですが、浅野氏はけっして妥協していなかったようです。浅野氏が追加したのは、「かなりの程度(少なくとも十数年を超える)」という表現ですが、この表現を分析してみますと、「十数年を超える」とは二十年以上という意味であり、さらにそこに「少なくとも」という修飾が付加されています。すると、この表現は「優に二十年を超える」という表現と同義になり、当初の「少なくとも数十年」という表現と比べ、実質的に大きく変わらない可能性があります。
つまり、浅野氏は自分の見解による影響の大きさを誰かに指摘され、強い圧力を感じる中で新しい表現を追加することにしました。しかし、新しく追加した表現が示す意味は、実質的に当初のものと大きく変わっていなかったのです。
このことから見れば、建築の専門家としての浅野氏の見解はやはり最初に断定した「(放置されていた年数は)少なくとも数十年」であったと推察できます。浅野氏は天智紀の法隆寺大火災記事は正しいと主張する人たちに配慮して新しい表現を追加しましたが、見かけの表現は変えても、真意は変わっていなかったのです。