【前回の記事を読む】桜咲く夜に突然現れた愛しの女性…「主役はすでに桜ではない」
蛇恋
湖に雪が舞う。その主たる龍神は恋をしていた。一匹の可愛らしい白蛇に恋をしていた。けれど、白蛇はその寵愛を受け入れない。彼女もまた恋をしていたのだ。村はずれに住むひとりの武士に、恋をしていた。
そんな折、白蛇のもとに武士の母親が亡くなったとの知らせが入る。幼くして父親を亡くし、傍目にも母親思いであった武士のこと。きっと悲しみに暮れているに違いない。叶うなら、あの人を支えてあげたい。そのまま男のもとへ駆け出してしまいたくなる感情を抑え、白蛇は主に申し出る。
「龍神様、龍神様。どうか私を、あの人のお傍に……」
それを聞いた龍神の、あぁ、その狂うような気持ちをどのように表現すればいいのだろうか。逆鱗には燃えるように熱い、心には煮えくり返るような激しい憎悪が渦巻く。
「ならん。人間などに、お前のような美しいものを嫁がせるなど」
「私は、美しくなくてもよいのです。あの人の傍にいたいだけなのです」
「ならん。お前は我がものになるのだ」
「どうか……どうか……。他にはなにも望みませんから」
「人などとお前が釣り合うはずがあるまい」
「そうであるならば永遠の命を捨てましょう。あの人より長生きしたところで、意味はないですから」
「それではこの怒りは、この想いはどうすればよいのだ」
「毎朝あなたさまを拝みましょう。偉大なるその存在を称え続けましょう。もし一度でも約束を違えることがあれば、どうぞあなたさまのお好きなようになさってください」
小さな白蛇の必死で愚かしい願い。それは龍神に別の感情をもたらした。無垢な白蛇に憐れみすら覚えながら、どうせ人間と幸せになることなどできまいと高を括る。
「相分かった、好きにするがよい。だが覚えておくがいい。人には我らを理解できぬ。けれど我らもまた、奴らを理解することなどできぬのだ」
「いいえ、いいえ、龍神様。私たちは誰もが互いにわかり合うことなどできません。けれど、だからこそ、愛おしいのではないですか」
「ええい、もはやお前の言葉は聞きたくない。早く行ってしまえ」
白蛇は龍神に深々と頭を下げると、するすると嬉しそうに男のもとへと向かう。その背中を龍神の言葉が追いかける。憐れむような、嘆くような、どこか優しさすら含んだ調子で。
「約束、ゆめゆめ忘れるでないぞ」