私(西野鉄郎)は高校生に英語を教えています。N(西野作蔵)君は私の塾のOBです。上智大学の2年生で、ロシア語を専攻しています。帰省中の冬休みのある日、私たちは茶房古九谷(九谷焼美術館内)で会いました。話は弾み、3日連続で、「織田信長と古九谷」について話し合いました。『国盗り物語』(司馬遼太郎)、『織田信長』(山岡荘八)によって植え付けられたイメージはなかなか払拭できませんが、本章(1日目)はこう…
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エッセイ『古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか』【第17回】西野 鉄郎
信行は信長の兄であり、嫡男ではないか?
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エッセイ『古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか』【第16回】西野 鉄郎
安土城は琵琶湖に浮かぶモンサンミッシェルなのだ
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エッセイ『古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか』【第15回】西野 鉄郎
キリスト教の世界観は安土城のどこにありますか?
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エッセイ『古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか』【第14回】西野 鉄郎
西洋文明に対抗するために富国強兵と殖産興業を急いだ
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エッセイ『古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか』【第13回】西野 鉄郎
信長のパラダイムシフトは茶器が一国一城に値する
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エッセイ『古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか』【第12回】西野 鉄郎
信長は安土を「アジアのローマ」にしようとしていた
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エッセイ『古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか』【第11回】西野 鉄郎
硯箱は漆塗りで、ヨーロッパではシガレット置きに化けた
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エッセイ『古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか』【第10回】西野 鉄郎
信長も秀吉もお金の「いろは」は、お金=信用だから、金貨を流通させるわけはない
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エッセイ『古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか』【第9回】西野 鉄郎
信長は鉄砲集団の指導を宣教師が連れてきた外国人に任せていた
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エッセイ『古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか』【第7回】西野 鉄郎
出身地の尾張にも似た尾山に変え、尾山で「信長の理想郷」を目指した
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エッセイ『古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか』【第6回】西野 鉄郎
信長は信定・信秀のゼニ経済(金銀発想)を継承する
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エッセイ『古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか』【第5回】西野 鉄郎
石高発想は信長の発想ではなく、家康の発想だからだ
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エッセイ『古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか』【第4回】西野 鉄郎
遺言状には信長の名前が数度出てくるが、秀吉の名は一切ない
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エッセイ『古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか』【第3回】西野 鉄郎
利家は「前田こそが織田の後継」の信念で、信長死後を生き抜いた
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エッセイ『古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか』【第2回】西野 鉄郎
イエス・キリストが囚われていた「牢獄」を利休の「茶室」と見立てた
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エッセイ『古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか』【新連載】西野 鉄郎
99%の欠点を補う1%の長所を持っているのが織田信長