私(西野鉄郎)は高校生に英語を教えています。N(西野作蔵)君は私の塾のOBです。上智大学の2年生で、ロシア語を専攻しています。帰省中の冬休みのある日、私たちは茶房古九谷(九谷焼美術館内)で会いました。話は弾み、3日連続で、「織田信長と古九谷」について話し合いました。
1日目 新信長論 利家と信長
『国盗り物語』(司馬遼太郎)、『織田信長』(山岡荘八)によって植え付けられたイメージはなかなか払拭できませんが、本章(1日目)はこうした織田信長像からかなりかけ離れています。小説ではなく、一種の論考のような内容を持っている本作品の導入部としては、読者の興味を引きつける内容です。
鉄砲の誤解
(3)鉄砲が宗教に与えた影響
私:ところで、作蔵君、信長は鉄砲集団の指導を宣教師が連れてきた外国人に任せていたことを知っているかい? 鉄砲は戦争のありようを変えたが、不思議なことに、鉄砲の影響が宗教面から語られることは少ない。しかしひとの死因が鉄砲で変化しているんだ。弓矢と鉄砲では殺傷能力がまったくちがう。50メートル離れていても鉄砲の餌食になり、隣人がふいに死ぬ。鉄砲伝来以前は、一般兵は負傷しても死ぬことはまれだったのに。
N:そうなのですか?
私:狙うは大将首、指揮官首。一般兵の首などは恩賞の対象ではなかったからな。
N:一般兵同士では命のやり取りはしないのですか?
私:そうだな。だから一般兵は死ぬことはまれだった。しかし鉄砲伝来以後は一般兵は鉄砲の矢面に立つ。それゆえ戦争に出れば、命の保障はない。死にゆく兵士の数は多い……。
N:一般兵(農民)はたまったもんじゃありませんね。鉄砲は日本人の死生観に決定的な影響を与えましたね。
私:惨たらしい死者の現実から目を背け、あの世への往生を唱えるだけの仏教。仏教への疑問をあらゆる人が抱いた。
N:あの世での極楽よりも……。
私:鉄砲による戦争の悲惨さがキリスト教の広がりに輪をかけた。鉄砲こそが悪魔であり、鉄砲こそが「神の化身」だったろう。鉄砲伝来でキリスト教が仏教に、当時は、完全に勝利したのだ。
戦争論の誤解 兵農分離 ホームレスに顔を背ける織田家の面々
N:次の誤解は?
私:「兵農分離」だな。兵農分離ではなく、信長の戦争論では「傭兵」という。信長は、津島湊と熱田湊で、海外の傭兵の知識を入手していた。傭兵に応募したのは喰いっぱぐれた次男、3男(利家は4男)。はっきり言えばホームレスだ。信長が連れてきたホームレスが城内のあちこちに野営する。浮浪児や傾奇者が雲霞の如く押し寄せてくる。「おおうつけ」のやることに顔を背ける織田家の面々。傭兵の理論など、その当時、誰が知ろう? 兵隊と農民を分離したのではないのだ。