私(西野鉄郎)は高校生に英語を教えています。N(西野作蔵)君は私の塾のOBです。上智大学の2年生で、ロシア語を専攻しています。帰省中の冬休みのある日、私たちは茶房古九谷(九谷焼美術館内)で会いました。話は弾み、3日連続で、「織田信長と古九谷」について話し合いました。

1日目 新信長論 利家と信長

『国盗り物語』(司馬遼太郎)、『織田信長』(山岡荘八)によって植え付けられたイメージはなかなか払拭できませんが、本章(1日目)はこうした織田信長像からかなりかけ離れています。小説ではなく、一種の論考のような内容を持っている本作品の導入部としては、読者の興味を引きつける内容です。

安土城

(2)永楽帝の天壇

:ところで、作蔵君、北京にある世界遺産「天壇」に行ったことはあるかな? 天壇は、1420年、明の永楽帝が建立した。

N:永楽通宝の「永楽」? 永楽通宝の旗印はおもしろい話でした。兵士には「織田に仕えればゼニがもらえる」。商人には「楽市・楽座は儲かる」。そして信長は国内経済を「織田の永楽通宝」で統一しようとした。

:そうだね。信長は永楽帝に憧れていた。永楽帝に憧れているからこそ信長は永楽通宝の旗印を使ったのだ。

N:そうなのですか?

:織田剣神社の神官の子孫の信長は永楽帝の天壇を熟知していた。

N:天壇を軽く説明してくれませんか?

:地を治める皇帝(永楽帝)が、天を治める天帝から天命を授かる祭祀施設が天壇なのだ。永楽帝に憧れていた信長は安土城にもその天壇をつくったのだ。

N:安土城にはどこに天壇がありますか?

:安土城は天守閣ではなく天「主」閣と書く。天「主」閣そのものが信長の天壇だと思ってもらえればいいのだ。安土城の5階、6階部分がなぜ存在しているのか? これでわかってもらえただろう。そこは永楽帝の「天壇」だからだ。

N:永楽帝に憧れているゆえに中国の世界観が安土城にはあるのですね。ではキリスト教の世界は? 信長ならキリストの12使徒の世界があってもよさそうなのですが……。

:12使徒の図はないが、安土城はキリスト教の世界そのものなのだ。

N:……。

:安土城は「城」である。

N:どういうことでしょう?

:日本の天壇は伊勢神宮だ。伊勢神宮は城ではなく、宗教施設オンリーだ。しかし安土城は城で、軍事施設でもあるんだ。

N:永楽帝の「天壇」は宗教施設オンリーですよね、たしかに。

:しかるに安土城は軍事施設に宗教施設が付随する。安土城にはキリスト教の世界も実現している。

N:「城」とキリスト教、その関係がまだわかりません。