私(西野鉄郎)は高校生に英語を教えています。N(西野作蔵)君は私の塾のOBです。上智大学の2年生で、ロシア語を専攻しています。帰省中の冬休みのある日、私たちは茶房古九谷(九谷焼美術館内)で会いました。話は弾み、3日連続で、「織田信長と古九谷」について話し合いました。
1日目 新信長論 利家と信長
『国盗り物語』(司馬遼太郎)、『織田信長』(山岡荘八)によって植え付けられたイメー ジはなかなか払拭できませんが、本章(1日目)はこうした織田信長像からかなりかけ離れています。小説ではなく、一種の論考のような内容を持っている本作品の導入部としては、読者の興味を引きつける内容です。
秀吉の利家評定 五大老で下から2番目
N:では秀吉政権下での利家評定は?
私:利家は83万石。それでも豊臣政権の五大老中、なんと、下から2番目だ。
N:え!
私:石高1番は家康の250万石で、毛利輝元と上杉景勝は120万石。1番下は宇喜多秀家57万石だな。石高の差から考えても、前田単独では、家康とはとても対抗できない。だから利家が長生きしても天下は狙えなかったろう。
N:では加賀百万石はいつですか?
私:利長のときだね。関ヶ原後の恩賞で120万石になった。しかしその時には家康も400万石で、しかも江戸幕府成立後には徳川御三家の150万石も加わるので、徳川本体では550万石になっている。
信長発想 vs 家康発想 金銀 vs 石高
私:しかし、この石高議論がまかり通るところが、じつはおかしいなところだ。なぜかといえば、石高発想は信長の発想ではなく、家康の発想だからだ。われわれは家康発想に毒されているともいえるんだ。
N:あれ? でもさっきは利家と秀吉の能力差を石高で判断していましたよ。
私:家(国)の能力差は石高では計れないと言っているんだ。豊臣家の石高を例にとろう。関ヶ原前は220万石しかないんだ。
N:え! 関ヶ原の前は、徳川(250万石)のほうが豊臣(220万石)よりも30万石も多い!? 何かおかしくないですか?
私:そう感じることこそ、家康の経済発想に毒されている強力な証拠なんだ。石高(米経済)は徳川の経済政策の根幹で、しかるに信長の経済政策の基盤は金銀(ゼニ)だ。そうそう、厚木基地にかっこよく降り立つダグラス・マッカーサー。厚木基地から彼はあるところに直行するんだ。
N:天皇陛下に会いに行ったのではないのですか?
私:違う。田中貴金属に金(キン)をかっぱらいに急襲するんだ。前田利常は何故奪わないんだ。
N:何の話ですか?
私:細川忠興(光秀娘婿)、藤堂高虎(浅井から豊臣へ。豊臣から徳川へ。日本一の世渡り名人)は大坂城の金蔵を急襲する。利常は何故豊臣家の金(キン)を奪わないんだ!