12 母親の両親の生家を見つけに落ち着いてから、母親に、「お母さんとお父さんの生家に行ってきたよ。写真も撮ってきた」と言うと、母親は、どちらの家も今まで行ったことがなかったので非常に驚いた様子でした。すぐに「どんなところだったの?」と聞いてきました。私が、「お母さんのリウさんの生まれた家は、日光市で鹿沼に近い小来川という山の多いところにあってものすごく立派だった」母親は感心しきりと聞いていて「そ…
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エッセイ『認知症の母を支えて 103歳を元気に迎えるまでの工夫』【第17回】石塚 武美
認知症の母の脳内で、強い刺激と感激が起きたのは間違いない。
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エッセイ『ありがとうをもう一度』【第13回】残間 昭彦
看護師たちの挨拶に涙…母は「ただいま」と言って笑顔を返した
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エッセイ『ありがとうをもう一度』【第12回】残間 昭彦
「心の財だけは来世へ持ち越せる」迫る死を覚悟した母の境地
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エッセイ『認知症の母を支えて 103歳を元気に迎えるまでの工夫』【第16回】石塚 武美
「何としても知りたい!」 名前だけを頼りに祖父の生家を探す
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エッセイ『認知症の母を支えて 103歳を元気に迎えるまでの工夫』【第15回】石塚 武美
母はハイカラでやり手の商売人。父は婿入りの算数教師。
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エッセイ『ありがとうをもう一度』【第11回】残間 昭彦
嘘の放射線治療をする…「お母さんを騙すしかないでしょう」
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エッセイ『ありがとうをもう一度』【第10回】残間 昭彦
私は医師にキレた…「最善を尽くしますという一言がほしい」
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エッセイ『ありがとうをもう一度』【第9回】残間 昭彦
いくらお医者さんでも息子でも、わたしは恨むからね……
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エッセイ『認知症の母を支えて 103歳を元気に迎えるまでの工夫』【第14回】石塚 武美
認知症の母の代わりに「鹿沼高校」へ足を運んだあの日
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エッセイ『認知症の母を支えて 103歳を元気に迎えるまでの工夫』【第13回】石塚 武美
5000円なんてけちけちしないで私の通帳からおろして
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エッセイ『ありがとうをもう一度』【第8回】残間 昭彦
まだ何も始めていませんので万策つきたわけではありません
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エッセイ『ありがとうをもう一度』【第7回】残間 昭彦
何とかして生きようとするのが人間じゃないか。
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エッセイ『認知症の母を支えて 103歳を元気に迎えるまでの工夫』【第12回】石塚 武美
「こんなところで役立った」認知症の母にマッサージを続けたら
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エッセイ『認知症の母を支えて 103歳を元気に迎えるまでの工夫』【第11回】石塚 武美
「食べること」が、認知症ケアに効果的だといえるワケ
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エッセイ『ありがとうをもう一度』【第6回】残間 昭彦
母は今、その意志を貫き決心を固めようとしている
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エッセイ『ありがとうをもう一度』【第5回】残間 昭彦
不出来な子だとて捨てられる親がいますか
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エッセイ『認知症の母を支えて 103歳を元気に迎えるまでの工夫』【第10回】石塚 武美
親切な歯科技工士の方がいて、この粘着剤の使い方のコツを教えてくれました
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エッセイ『認知症の母を支えて 103歳を元気に迎えるまでの工夫』【第9回】石塚 武美
歌丸、小遊三、好楽、木久扇、三平、円楽、たい平、それに山田隆夫
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エッセイ『ありがとうをもう一度』【第4回】残間 昭彦
人は何年も前から少しずつ死ぬ準備をはじめる
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エッセイ『ありがとうをもう一度』【第3回】残間 昭彦
母が誰に愚痴をこぼしても「まさかぁー」と取り合う者はいなかった